【多摩ニュータウン近隣街歩き】永山駅から聖蹟桜ケ丘を目指す
新年早々、多摩地域に雪が降り、その直後に永山駅から聖蹟桜ヶ丘駅を目指して歩きましたので、紹介したいと思います。まだ日影の部分などに雪が残るひと時でした。
京王永山駅まで電車で移動して、ここからスタート。
京王永山駅。お隣の多摩センターと同様に、小田急・京王が同じ形の駅を隣に設置しています。ライバル同士ながらも、乗り換えもお隣なのでスムーズにできる形になっています。
京王・小田急が並ぶ永山駅のコンコース。京王・小田急の高架下にたくさんお店があるので、何かと便利な駅です。
ザ・昭和の高架駅、という感じの2つの路線が並ぶ高架下から見た風景。高架下にバスターミナルがあります。
線路の北側の遊歩道を歩いてみましょう。
かえり橋と名前の付いた遊歩道の橋。銘板には、日本住宅公団(現:UR都市機構)が1974年に完成させた旨の情報が記載されています。私と同い年、アラフィフの現役歩道橋です(笑)。
永山駅を出た電車は、すぐにトンネルに差し掛かります。その直上を一望できる遊歩道。左が小田急線、右が京王線です。駅のつくりはそっくりですが、駅の色合いやデザインが結構違っていて、その微妙な違いを比較して楽しむのが結構楽しいです。
こんな角度からトンネルを眺めながら、ふらりと散歩できるので、お気に入りの遊歩道です。
坂を上がると、多摩ニュータウン、諏訪地区で入居が始まったことを記念するモニュメント。昔は連光寺と乞田という地名でしたが、昔からの神社や古道の名前から新たに地名を作ったとか。「●●台」「●●ヶ丘」みたいにならなくてよかったかも!?
諏訪尾根通りという道を歩きます。擁壁のパイプの高さ・間隔が揃っていますが、微妙にずれているところも。施工中に配置が不ぞろいになったのか、それとも法面が少し動いているのか?そんなことが目視点検を続けたらわかるのかな・・などと考えながら歩いていました。
諏訪神社という名前のバス停に来ました。古くからの神社に残る地名が、新たな団地に採用され、再び息を吹き返すというのも、良いことだと思います。
多摩市の雨水のマンホールです。言葉抜きで、傘と長靴のデザイン、シンプルでいいと思いますが、「多摩市」という自己主張はどこかでしたほうがよくないですか(笑)?
少し歩くと、古くからの集落と思われる場所に来ました。日当たりが悪いためか、凍結した道路が怖かったです(笑)。
この地区は、馬引沢という地名です。乞田川の支流に残る、古い沢の地名です。
乞田川に出てきました。多摩市内の多摩ニュータウン通り沿いを流れる多摩川水系の川です。多摩センター駅前付近は、個人的には目黒川に負けないほどと思う素晴らしい川沿いの桜並木がある川です。
多摩ニュータウン通りは、ここでは鎌倉街道とも呼ばれています。関戸橋から多摩市内を貫き、町田の小野路を抜けて鎌倉に向かう道です。この地区には、大山街道・鎌倉街道など、昔の人が目指した場所に行く道が、この地区にはいくつもあることが少なくありません。
車橋バス停のすぐ横の大きな道の橋は、熊野橋という、別の名前でした。車橋は、その脇にある、ガードレールが高欄の飾り気のない小さな橋。バス停の名前になっているということは、この橋のほうが古い道だったということなのかもしれません。
その熊野橋の延長線上に、道路がつながっていて、少し進むと・・
鎌倉街道旧道に面する、熊野神社です。この神社を訪れてみましょう。
ここで見つけた史跡は、「霞ノ関南木戸柵跡」。
昔の関所が破られないように、ここで分断していた柵の遺跡です。ここが、聖蹟桜ヶ丘近くの地名である、「関戸」の由来だとか。
熊野神社の境内を見て回りました。ここは昭和3年に改修工事が行われたとのこと。ご大典記念の碑などが多かったです。極めつけは、このスロープ脇にある、「混凝土詣道碑」。関東大震災の跡、復興の象徴で、且つ昭和時代の始まりという時期に、地域でコンクリートの道を作ったという碑があるのは、なかなか驚きの光景でした。
今回はここまで。次回は聖蹟桜ケ丘駅を目指します。
■終わりに
永山駅から聖蹟桜ケ丘に向かう散歩道。意外と見どころ満載で、土木屋さんとしてもとても興味のある発見が多かったです。