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<新宿駅からぶらり街歩き>⑤神田川周辺を歩く

新宿駅付近の探索の続き。前回は西新宿の新宿中央公園、熊野神社、十二社池の跡をめぐりました。(前回の探索はこちら)

今回は、もう少し西新宿の路地裏を歩き、神田川近くを探索したいと思います。

■西新宿五丁目の古い町と暗渠を歩く

西新宿五丁目にある、庚申堂

西新宿五丁目の古そうな道を歩くと、立派な建屋に守られた石仏がありました。新宿副都心に隣接する場所とは思えないスポットです。

古い道の街並みにある、不思議な空間

古い道を歩くと、川が流れているような場所に出くわします。

暗渠の川から見た風景。橋の高欄が切り取られて往来できるようになっている

川の跡は暗渠となっていますが、川が流れていた頃の面影を残す一角です。

柳橋があったことを示す説明看板

柳橋の説明看板、少し読んでみましょう。

この柳橋は、昭和7年9月20日に完成し、昭和38年の東京五輪前年に暗渠化されるまで親しまれてきました。この下を流れる川は和泉2-1にその流れを発し、渋谷区の笹塚~幡ヶ谷~を経由して西新宿五丁目(旧淀橋)から神田川にそそぐ延長3kmの自然河川です。特に川の呼び名はなかったが、行政上は単に「神田川支流」と呼び、区域により渋谷区では「神田川笹塚支流」または杉並区では「和泉川」と呼ばれていた。
また、この先の暗渠では伊丹十三監督の映画「たんぽぽ」のラストシーンのロケ地に使われました。さらに日本の伝説的ロックバンド「はっぴぃえんど」の1stアルバムのジャケットに写った「ゆめでん風間商店」はこの地で撮影されたものです。
時が刻まれたこの場所は、暗渠化でもなお、当時の面影を留めている数少ない橋跡です。

お隣の橋は、羽衣橋と呼ぶようです。
昔ながらの古びた街並みが広がる

隣の橋は、羽衣橋と呼ぶ橋だったようです。このあたりは趣のある古びた街並みが広がります。

昔ながらの川の雰囲気を感じることができる暗渠

家の裏手にフェンスがあります。蓋をされる前の川の雰囲気を感じられる場所です。

暗渠をしばらく歩くと、神田川に合流

暗渠をしばらく歩き続けると、神田川につながっています。少し離れたところには、高層ビルが見えます。最近は近傍の街区が再開発され、タワーマンションに建て替わった場所がいくつかあります。このあたりもいつまでこんんな風景が残るかわかりません。

■神田川・淀橋周辺を歩く

コンクリートで固められた神田川。

神田川に来ました。こちらは川幅も広いです。典型的な都市河川。大雨が降ると増水する暴れ川で、雨水貯留施設の整備などが進んでいます。

神田川沿いで進む再開発ビルの工事

神田川沿いで、再開発ビルの工事が進みます。このようなビルやタワーマンションがたくさん建ち並び、今や西新宿周辺は都心でも人気の住宅地となっています。古い町と新しい再開発街区が混在する場所です。

再開発街区の一角に残る石碑。淀橋地区の開発に貢献した人を顕彰する石碑です。

街区の一角に、大きな石碑があります。渡邊文雄さんという、淀橋町の地主さんが、公園や道路の整備に尽力したことを称える石碑です。こういうものが残っているのはなかなか良いです。

青梅街道が神田川を渡る、淀橋

淀橋に来ました。淀橋と言えば、新宿西口にある、某カメラ屋さんを連想する人が多いかもしれませんが、その由来はこの橋です。山手線の外側は、戦前は「新宿区」ではなく「淀橋区」だった時代があります。

大正13年の刻印のある親柱

親柱には、「大正13年12月成」との刻印があります。その下に、「旧橋の親柱を再利用しています。平成17年」とあります。道路拡幅で架け替えられたようです。

古い高欄のデザインを踏襲して架け替えられた橋

古そうなデザインに見えますが、架け替えられているようです。橋の向こうは中野区。少し歩くと、中野坂上駅に着きます。

淀橋の由来を記載した説明板

淀橋の由来を示した説明看板です。徳川家光が鷹狩りに行く際に、淀川で見た景色に似ているから淀橋と名付けるように命じたとのことです。

青梅街道沿いにある、淀橋咳止地蔵尊

淀橋のすぐ近くの青梅街道沿いにある、淀橋咳止地蔵尊。こういう古くからあるお地蔵さんが、再開発や道路拡幅が進んでも残されています。

■終わりに

今回は、西新宿でも、古い暗渠や街並みの残る西新宿五丁目と、神田川の淀橋周辺を歩きました。古い町と新しい再開発タワーマンションが混在する町。静かな古くからある住宅地と、人気のタワーマンションが建つエリアが混在する場所です。このエリアも、散策するのがとても楽しくなる場所です。

いよいよ新宿駅周辺の街歩きも大詰めを迎えます。最後に西新宿と、再び新宿駅周辺に戻っていきます。
(次回はこちら)


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