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▲群馬・栃木への旅▲⑩様々な碓氷峠を目指す道

碓氷峠のアプトの道。昔の信越本線の廃線跡は、とても歩くのが楽しい道中でした。
(前回の記事はこちら)

今回は、アプトの道を熊ノ平駅跡まで歩いた帰り道に、もう一つの碓氷峠越えの道を少し歩いてみました。その道は、

碓氷峠を越える、旧国道18号線。

国道18号線です。国道18号線は、高崎市から長野市を通り、新潟県の上越市に至る幹線国道で、今の上信越自動車道に沿った道路です。群馬県・長野県・新潟県を車で訪れる人にはおなじみの大動脈です。この道路もまた、碓氷峠を越えていました。今回の主役は、碓氷峠を越える道路ですが、それ以外に気になった場所も随時見て行く欲張りな旅をしたいと思います(笑)。その前に、碓氷峠を越えた数々の交通機関について見てみたいと思います。

■碓氷峠を越える交通手段(長い前置き)

まずは、広範囲の国土地理院の地図を見てみましょう。全体図と拡大図で、碓氷峠付近の全体像を説明したいと思います。

碓氷峠周辺の全体図
碓氷峠関係の拡大図

国土地理院の地図では、「碓氷峠」は軽井沢駅のすぐ東側に記載されていますが、元々の碓氷峠は、ここではなく、軽井沢駅から北に延びる、旧中山道の旧軽井沢(軽井沢宿)を過ぎ、県境にある熊野権現までを結んでいる車道の終点(拡大図の左上にある、「熊野皇大神社」があった場所)が碓氷峠で、そこから「旧中山道」と書かれた点線の山道(拡大図の子持山、刎石山を経て、旧国道18号に向かうルート)が、古来の峠道です。このルートは、「サムライマラソン」の映画の舞台であり、「安政遠足」のマラソン大会が今でも開催されている道です。

旧中山道のルートは、ピークの熊野権現の標高が1188mもあり、刎石山に登る部分は、非常に急な坂道となり、車を通すことは不可能です。
こんな中山道に、要人が通るというイベントがあった際、2回ほど新たなルートが作られたことがあります。それは、
 ①和宮(かずのみや)の婚礼のための行列の通過(1861年)
 ②明治天皇の御巡幸の行列の通過(1879年)

です。①は、熊野権現近くにある「和宮道」として、②は、国道18号のめがね橋のところから分岐し、旧中山道に合流する点線の道がそれにあたります。ただ、このくらいの改良では、車が通れる道路ができないので、峠の位置を改めた新しい道が開通しました。これが、
 ③碓氷新道(今の国道18号旧道)の開通(1884年)
になります。道路に関しては、長くこの道が碓氷峠のメインルートでした。地図を見てもわかる通り、この急勾配の峠を、数々のヘアピンカーブで克服するルートでした。(鉄道とは設計思想が全く違いますね)
 ④碓氷バイパス(国道18号新道)の開通(1971年)
 ⑤上信越自動車道の開通(1993年)

ができましたが、この2つの道は、比較的勾配を緩やかにするために、南側を迂回するような形になっています。

一方、鉄道の変遷はというと・・、まず出来上がったのは、
 ①碓氷新道沿いに、碓氷馬車鉄道が開業(1888年)
何と、今の国道18号に沿って、馬車鉄道が横川と軽井沢を結んでいた時代があるのです。ということは、今から説明する国道18号は、馬車鉄道の廃線敷であるともいえるのです。そして、
 ②碓氷峠のアプト式鉄道の開業(1893年)
を迎えたのは、アプトの道を歩いてきたこの鉄道ですね。さらに、
 ③アプト式鉄道の電化(1912年)
 ④粘着式の新線の開通・アプト式鉄道の廃止・複線化(1966年)
 ⑤粘着式の鉄道の廃止、北陸新幹線の開業(1997年)

と続きます。今の北陸新幹線は、トンネルが多く、碓氷峠越えの線路の遥か北側を長大トンネルで結ぶ形になりました。

■というわけで、めがね橋から散策開始

非常に長い前置きが終わったところで、めがね橋から散策を開始します。

国道18号旧道にある、めがね橋バス停。季節運行の1便だけが通るバス停。
めがね橋がある場所には、国道18号にも橋が架かっています。
碓氷橋と言う名前の橋です。

碓氷橋と言う名前の橋が架かっています。下記のサイトを見ると、馬車鉄道時代は、碓氷橋で馬をチェンジしていたようです。そういう歴史のある橋なのです。また、ここは上述した②の明治天皇御巡幸道路が分かれていく道です。そちらを歩いていきたいと思います。

■御巡幸道路の跡を歩く

御巡幸道路は、碓氷第三橋梁のある沢を登って行き、そこから中山道に合流する道です。平成になってから土砂崩れが発生し通行不能となっていましたが、近年安中市が再整備し、歩けるようになったようです。私は「まちあるき」派なので、山道に変わった以降は歩きません。入口付近まで行ってみたいと思います。

碓氷第三橋梁を真下から眺めます。おーすごいと感心。
上流側から眺めた碓氷第三橋梁と御巡幸道。
これは、【碓氷上水道企業団 第一圧力調整池】

めがね橋と御巡幸道の脇に、さりげなく碓氷上水道企業団の第一圧力調整池がありました。

碓氷上水道企業団とは、昔の安中市と松井田町が共同で上水道を引くためにつくった組織ですが、両市町が合併して安中市となったため解散しました。

ここは、現在の安中市民にとって大切な水源地でもあるのです。

碓氷峠の新線(下り線)の廃橋が姿を現しました。

もう少し歩くと、碓氷峠の新線の廃橋が出現します。廃止されているとは思えない、立派なコンクリート橋です。

アーチの下部にコンクリートの基礎が。上の橋梁を施工する際の仮柱の基礎跡でしょうか。

1960年代に開業したコンクリート橋の下部には、施工時に用いたと思われる基礎の跡のようなものもありました。

下り線からもう少し上流に、上り線のアーチ橋が架かります。

上り線の橋と下り線が、この場所では離れています。

中山道はこちらという標識。
御巡幸道路は、ここから急坂を登り、中山道に合流します。
ちょっと車で走るには急坂すぎるかも。

御巡幸道路は、車道からひっそり分岐し、急坂となって登っていきます。これでは車はおろか、馬車等も走れなかったでしょう。
まっすぐ続く車道は・・・、水源地に通じています。

予想通り、碓氷水道企業団の水源で行き止まりです。

現代のこの御巡幸道路は、中山道に通じる道、というわけではなく、どうやら水源地という水インフラの管理用道路の意味合いが強いようです。

■国道18号を歩く

落石注意の看板の背後に、アプト式鉄道の旧線跡があります。
周辺は、霧積山国有林のようです。林野庁 群馬森林管理署の管轄です。
「No.25カーブ」との表記が。

国道18号は、カーブが続くので、カーブの番号が横川側から振られています。ここはNo.25カーブ。軽井沢まで延々続いています。

カーブしてアプト式の旧線を越えていく場所。
国道18号のおにぎり看板。
アプト式旧線を跨ぐ橋。
「昭和34年3月竣功」とあります。
アプト式廃止が昭和41年なので、7年だけ立体交差していました。
「碓氷第二跨線橋」という名前のようです。

アプト式の旧線と国道18号が交差する橋。「碓氷第二跨線橋」は昭和34年にできました。このころ、碓氷峠の国道を改良する事業が行われていたようです。

線路跡にありそうな、独特なカーブが上から眺められます。
国道の上から廃線を眺めると、また別の趣になります。


何回となくアプト式旧線と交差する道路。

今度は、トンネルの直上を国道が通過する形です。

碓氷水道企業団の、第二圧力調整池。


直下に見えるのが、「碓氷第二橋梁」の遺構だそうです。

旧国道18号から、鉄道遺産を眺めることができます。

ちょっと見えにくいですが、確かにレンガアーチ橋が見えます。
このカーブの形とか、素敵です。
国道18号と旧中山道との合流点。
中山道はいきなりここから急登が始まります。
立派な休憩所が併設されています。
おそらくめがね橋を意識した意匠なのでしょう。

旧中山道の合流点が来ました。街道歩きの人は、こちらから旧街道をアタックする拠点になると思われます。

坂の下に、浄水場と坂本宿が見えました。
旧線のトンネルの真上を通過します。
この角度から旧線トンネルのポータルを
眺められるのはラッキーです(笑)。
山間部にある、雨量による閉鎖ゲートを通過。
ここからは山ではなく、市街地となることを意味しています。
そして、無事に玉屋のドライブインに戻ってきました。

■終わりに

アプトの道のウォーキングからの帰りくらいは、違う道を歩いたほうが楽しいと思い、特に何も考えずに国道18号の旧道を歩いていました。巡幸道の遺構や、水道インフラを見ることができ、とても有意義なウォーキングでした。次回は、さらに国道18号を下り、坂本宿などの施設を巡りますのでお楽しみに。

(続きはこちら)



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