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【南大沢土木構造物めぐり】No.19 歩道橋でめぐる上柚木の「消えた地名」めぐり ~長久保・湯沢・犬吠池・神子沢~

地元・南大沢の土木構造物をめぐり続けていますが、まだまだ紹介したい場所が次々に出てきます。歩くたびに新しい発見があり、記事をまとめると新たな疑問が出てきたり、調べたりいろんな方からコメントをいただき、それでまた新たな知見を得たりなど、話題に尽きません。それらはまた順次紹介していきたいと思います。

情報発信している中で、南大沢を長年歩かれ、動植物の写真を撮影され、ブログに紹介されている方に、私の一連の記事をブログ上で紹介いただきました。大変ありがたいことです。私も散策する際に情報収集していたサイトで、動植物のことだけでなく、構造物も含めた幅広い情報を発信されているサイトです。こちらもぜひご参考に願います。

さて、今回の本題。今回は南大沢駅近くから鑓水方向に歩き、歩道橋をめぐります。今回は、No.17で紹介した「欅歩道橋」を渡ったところから左に曲がり、上柚木三丁目、二丁目、鑓水二丁目の方向に向かいます。ここは丘陵の尾根の部分にあたるところで、比較的標高が高いところです。今回は、構造物そのものを眺めることに加えて、歩道橋のネーミングに注目しながら歩いてみたいと思います。

【上柚木・鑓水の古地図】
下記に「今昔マップ」から上柚木・鑓水地区の古い地図を示します。1896~1909年の地図です。現在との対比が知りたい方は、下記のリンクに対比図を入れていますので、そちらも参照ください。「上柚木」という地名は、大栗川の川沿いの集落の大字として名前がありますが、谷戸の上の尾根部であるニュータウンの住宅街の地区は、地名の記述がありません。人が住む集落は尾根部には無く、尾根は山林で、谷部の斜面が桑畑、谷底が水田という土地利用だったようです。少し話はそれますが、「由木村」の「由」の漢字の少し右側に、丸い池のようなものが見えますが、これは今の柳沢の池公園の中にある柳沢池です。造成で若干場所が移動したと思われますが、100年以上前の地図の池が残る貴重な場所なのですね。また機会があれば取り上げようと思います。今回の散策で興味深いのは、歩道橋の名前が「古くからの地名」をあらわしているようですが、昔がどうだったかあまり想像できない名前が多いです。橋の構造を見ながら、ネーミングを考えていきたいと思います。

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【長久保歩道橋】
最初に出現するのは、長久保歩道橋です。尾根沿いに通る遊歩道と交差する、谷から登ってくる道路と交差する位置にある歩道橋です。「長久保」とは、地名からすると「長いくぼ地」というような地名を連想させます。古い地図で見ると、今の「南大沢学園一番街」から「南大沢学園二番街」方向に長い谷が見えるので、この谷の名前が「長久保」なのかもしれません。

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下にある交差点も「長久保」交差点で、三徳プラザや由木街道まで抜けられる道なので、比較的交通量が多い道路です。

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銘板は目に見えるところにありませんでしたが、高欄に「昭和63年2月完成」との文字がありました。

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少々消えかかっていますが、周辺にいる動物などの名前がタイルに描かれています。開発前からたくさんの動植物がいたのでしょう。

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【湯沢歩道橋】
遊歩道が車道と交わる場所にできた歩道橋です。車道を越えるために、歩道は長いスロープになっています。

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この歩道橋、四方を中学校、小学校、幼稚園、保育園に囲まれた場所にあります。子供たちがたくさん行き交う場所とも言えます。

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【1992年10月 東京都建造 下部施工 坂本工業株式会社】
【湯沢歩道橋 1993年3月 東京都 道示(1991)歩道橋
 定着方式 フレシネー工法 製作 極東工業株式会社】

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標高が高い場所にあるせいか、橋の上からの見晴は非常に良いです。
しかし、なぜ「湯沢」などという名前がついたのでしょうか?古い地形図を見ると、ここから西北方向(上柚木小学校側)にめがけて一つの谷がはじまります。これが「湯沢」なのでしょうか。「湯沢」といえば、温泉地などを想像しますが、ここに温泉が湧いていたのでしょうか?古い地名を調べても今まで情報にたどり着いていません。謎かけのようなネーミングです。

【犬吠池歩道橋】
湯沢歩道橋のスロープを降りたら、上柚木小学校に沿って右折します。そうすると長い高架橋のような道路を越える歩道橋が出現します。犬吠池歩道橋です。高架鉄道を思わせるような長いスロープで、それぞれの桁がアーチを模した形になっています。橋脚はどれも丸みを帯びており、「きのこ」のようなものを連想させます。

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【1995年3月 東京都建造 下部施工 八州建設株式会社】
【犬吠池歩道橋 1995年5月 東京都 道示(1990)歩道 500kgf/cm2
 定着方式 フレシネー工法 製作 オリエンタル建設株式会社】

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やはり橋の上は遠くの稜線が望め、眺望が開けます。この地区は標高が高いので、そこが魅力なのかもしれません。
さて、「犬吠池」というネーミング、不思議です。古い地図を見ると、この道路が昔の谷筋に沿って作られているので、谷戸の先端のこのあたりに池があったのでしょうか。犬吠といえば、千葉県銚子市にある灯台が有名ですが、そのネーミングもまた謎なところです。

【上柚木西歩道橋】
遊歩道をもう少し歩くと、大きな道路を跨ぐ歩道橋に差し掛かります。この道路は、古い地形図を見ると、尾根の位置に大規模な造成を行って作ったようなので、両側の斜面に多数の法面工が施されている場所です。

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【1994年3月 東京都建造 下部施工 日本鋼弦コンクリート株式会社】
【神子沢歩道橋 1994年3月 東京都 定着方式 フレシネー工法
 製作 日本鋼弦コンクリート株式会社】

もともとこの橋は、「神子沢歩道橋」という名前だったのが、「上柚木西歩道橋」と名を変えて供用されたようです。おそらくそれは、隣接する歩道橋が「神子沢」の名前を名乗ったからだと思われます。地名を踏襲しないと少し味気ない名前の歩道橋になりますね。

【神子沢東歩道橋】
さらに前進すると、神子沢東歩道橋に差し掛かります。この地区の歩道橋の特徴は、とにかくアプローチが長く、擁壁を伴ってカーブしていること。どこか鉄道線路を連想させるような部分がなぜか多いです。

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【神子沢東歩道橋 1996年3月 東京都 道示(1994)
 定着方式 プレテンション方式 製作 株式会社 富士ピー・エス】

神子沢は、古い地図で見る限り、この歩道橋から北側に広がる沢であったようです。児童公園も「神子沢公園」を名乗っており、ここは地名が比較的残されています。

【神子沢西歩道橋】
少し進むと、鑓水中学校が見えてきます。そこに向けて、これまたアプローチが長いスロープの歩道橋が出現します。

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【1997年6月 東京都建造 上部・下部施工 (株)丸高】
【神子沢西歩道橋 1997年6月 東京都 道示(1994)
 定着方式:フレシネー工法 製作:株式会社 丸高】

西に行けば行くほど、開発時期が遅く、歩道橋の出来上がった時期が新しくなっていくのも特徴です。神子沢は、西・東の歩道橋があるように、一つの沢ではなく、少し広めのくぼ地全体を指したのではないでしょうか。

【終わりに】
今回歩いた上柚木・鑓水地区のニュータウン内の部分は、昔は人が住まない尾根上であり、いくつかの谷の先端部があり、そこに池や沢があり、人々は農耕などに土地を利用していたようです。歩道橋の名前が残っていますが、それ以外にあまり手がかりが無いので、昔の状況を想像することは難しいです。ただ、歩道橋に昔の地名をあえて入れる「謎かけ」のようなことをされたので、この謎を解きながら、きれいな稜線が歩道橋から見渡せる遊歩道を散策するのも良いのではないでしょうか。

長文になりましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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