◎山梨へのプチ旅◎:④中央本線各駅下車の旅(その2:笹子駅)
中央本線の勝沼ぶどう郷駅を訪れ、そこから1駅ずつ下車している旅、前回は笹子トンネル西側にある、甲斐大和駅を訪れました。静かな町の中に、見どころが多い場所でした。(前回の記事はこちら)
今回は、甲斐大和駅から笹子トンネルを越えて、笹子駅まで1駅乗車し、次の電車までの間、散策してみることとします。
■元・スイッチバック駅の笹子駅
笹子駅周辺の地図を、「今昔マップ」で見てみましょう。
スイッチバックは、1960年代に複線化された時点で廃止され、今の駅の場所に移転されています。それまでは、駅に停まるために平坦な引き込み線に入ることを行っていました。蒸気機関車や古い電気機関車がけん引する客車列車は、そういう仕組みにしておかないと、急勾配の途中で停まることができないですが、力の強い電気機関車や、電車が走り出した時代には、こういうシステムは不要になってきたのです。
いざ、その笹子駅へ。
■旧スイッチバック跡を眺めてみる
ここは、JR東日本の、「笹子設備トレーニングセンター」。最近は、鉄道の日に有料の公開イベントなども行われているようです。HPに過去のイベントが公開されています。
さて、スイッチバックの駅跡は、トレーニングセンターのエリアだけでなく、もう少し先まで伸びていた様子です。
おそらく、スイッチバック駅時代には、この道路は無く、トレーニングセンターの敷地とこちらの敷地は、線路が繋がっていたものと想像されます。
正面に見えている建物は、保線関係などの工事を行うJR系の建設会社の施設です。この裏手は、写真を撮りそびれましたが・・、
昔はここに駅があったのですね。駅のあった位置は、集落の外れのような場所だったようですが、スイッチバック駅であったので、この場所に作らざるを得なかったのでしょうか。
■笹子トンネルの完成記念碑
そして、この駅前にひときわ目立つモニュメントが。
この石碑、とても大きいです。その証拠に、先ほど上を歩いたスイッチバックの駅舎跡から見ると・・、
桂太郎は、陸軍大将とありますが、笹子隧道が竣工した1902年当時には内閣総理大臣に就任しています。
碑文は、若尾逸平という、甲州財閥の中心人物で、貴族院議員も務めた人が書いたそうです。それだけ、このトンネルが甲州にもたらしたものはすごかったのだろうと想像できます。
■笹子餅と、笹一酒造
かつては、笹子峠の途中で「峠の力餅」として売られていたものですが、中央本線が開通してからは、笹子駅で売られていた名物のお餅。今では駅での販売は無くなりましたが、お店では販売されています。
そして、この笹子餅のお店から、さらに少し歩くと・・、
この地で江戸時代から続く酒蔵。今ではワインなどの醸造も行っています。
この施設、日本酒やワインが試飲できてしまう(こちらは有料の試飲コーナーのもの)ので、駐車場完備ですが、少し歩けば笹子駅からたどり着けますので、是非電車で飲みに来られることをおすすめします(笑)。
■阿弥陀海という宿場町
この笹一酒造や、笹子餅がある場所は、「阿弥陀海(あみだかいどう)宿」という、甲州街道の宿場町でした。山の中なのに、「海」という名前が付いた珍しい地名です。隣接する白野、黒野田という2つの宿場はすぐ近くにあり、1か月の中で何日かずつ交代で宿駅の任務についたようです。
■終わりに
山梨県内中央本線の各駅下車。笹子駅はスイッチバックの駅跡があり、笹子餅や笹一酒造もある、途中下車をするにはとても楽しい場所でした。
次回は、さらに大月駅方向に1駅乗車し、初狩駅へ。ここもなかなか味わい深い駅ですので、そこを次の電車までの間滞在しましたので、ご紹介したいと思います!