★東日本大震災:被災地を訪ねる★④名取市閖上地区を行く
東日本大震災の宮城県の被災エリアを訪れています。隙間時間での短い滞在でしたが、東松島市、塩竃市、仙台市、そして名取市の被災地域を回ることができました。津波で被災された場所の今、といっても、一括りには決してできず、賑わいを取り戻している地域や、そうでない地域など、それぞれにいろんな課題を抱えていることもわかりました。
今回は、前回訪れた仙台市若林区藤塚地区の名取川を隔てたすぐ対岸に当たる、名取市閖上地区を訪れました。(前回の記事はこちら)
■名取市閖上地区とは
名取市閖上(ゆりあげ)地区とは、宮城県名取市の名取川河口付近にある、漁港があることで知られた風光明媚な町でした。仙台湾をつなぐ貞山運河という土木遺産になっている運河もあり、そういう海の恵みを受けた港町でしたが、2011年3月11日の大津波で壊滅的な被害を受けました。テレビ中継での津波の空撮映像を当日に見て、その被害の甚大さに驚愕したことを記憶しています。
こちらの動画は、後ほど出てくる閖上五差路という、主要道路の交差点にあった歩道橋から撮影された津波動画です。あまり高い場所がない中で津波に襲われたこの街では、この歩道橋が地域の方の生き残れた施設の一つとなりました。
今昔マップで見ると、名取川の河口には砂丘が発達したためか、閖上の港は、海側に天然の防波堤のような砂洲が発達した天然の良港のような場所でした。そこに仙台湾内をつなぐ貞山運河もあり、舟運に恵まれた場所であったと言えるでしょう。その場所が2011年に大津波に襲われ、地区は9mにもなる津波の被害を受けました。
■閖上地区を訪ねる
まず訪ねたのは、日和山と呼ばれる人口の山です。
こちらの石碑は、この地に残されていた、昭和三陸津波の伝承碑です。昭和三陸津波は、震源地が岩手県側の北方であったため、名取市閖上地区には津波は押し寄せましたが、海側にある砂洲が防波堤の役割を果たし、被害はあまり大きくなかったようです。この記念碑の存在は、今回の津波が来るまで地区の住民からも忘れ去れていたようですが、今では改めてその記載内容が注目されています。
こちらは、津波の記念モニュメントです。津波の高さは、このモニュメントのてっぺんである、約9mの高さで押し寄せました。手前の石碑に刻まれているのは、震災で亡くなった犠牲者のお名前です。あまりの多さに驚かされます。
こちらの石碑、令和になってから建てられましたが、とても示唆に富んでいます。
■終わりに
名取市の閖上地区。かつては漁港のある街として栄えた場所が、東日本大震災では壊滅的な被害を受けました。それを伝承する施設が色々と点在するこの街。最近は賑わいの空間や、再び居住できる空間もでき始めているものの、やはり大部分は空地のようになってしまっており、今後どのようにその場所が活用されていくかは未知数だと感じました。
いずれにしても、街が活気を取り戻すには、沢山の人に足を運んでもらう必要があると思います。商業施設などに沢山の観光客が入る日を実現させることが重要だと思います。そして、津波のことを次世代に語り継ぐことも重要だと再認識しました。