『豊後土工』(ぶんごどっこ)のふるさとへ
「豊後土工」(ぶんごどっこ)って、ご存じですか?多分ご存知でない方がほとんどだと思います。大分県の南部、佐伯市近くにルーツを持つ、土木の技能集団のことを指します。そんな方々の故郷の一つである、今は大分県佐伯市、合併前は上浦町の浅海井(あざむい)という町を訪ねてきました。
■「豊後土工」とは?
大分県の南部、佐伯市付近は、豊後水道に面したリアス式海岸が続くエリアです。大分県の地図を国土地理院の地形図で書きましたが、標高100m以下の低地(赤くないエリア)は、臼杵湾・佐伯湾のエリアにはあまり広がってなく、この付近は低地も少なく往来するのも不便な地域でした。
今回訪問した、浅海井地区周辺を拡大した地図がこちら。
浅海井地区の付近は、地区の間を移動するだけでも、危険な海岸を歩いたり、峠道を越える必要があり、移動するのが難しかったでしょう。そんな地域に近代化をもたらした大きな事業が、「JR日豊本線の建設」です。大正時代に建設された鉄道は、トンネル続きで、平野の乏しい地域を通るルートで線路が敷設されました。そのトンネル工事で活躍し始めたのが、「豊後土工」であり、その後この地から全国の工事で活躍することになります。そして、黒部ダムや青函トンネルのような、戦後のビッグプロジェクトを支える技能者集団として活躍の場を広げ、今もトンネルなどの土木工事の世界で活躍しています。そんな「豊後土工」の活躍を追いかけるきっかけは、土木学会で取り組んでいる、こちらの黒部川発電プロジェクトのアーカイブ活動で、当時を知る経験された方にインタビューを行う取り組みで、現地を伺ったこと、でした。
今回は、そんな取り組みの一環で訪れた、浅海井の町周辺のことをご紹介したいと思います。
■大分へ移動する車窓から
まずは、大分へ移動。窓側に座ると、ついつい我を忘れて地形見物を楽しんでしまいます(笑)。
いやー、なかなか楽しいフライトでした。大分空港に到着し、車で移動します。
■佐伯市上浦町浅海井地区へ
さて、車で佐伯市に向けて走ります。県内移動なので、そんなに遠くないかな、とか思っていましたが・・、大分空港から佐伯市までは、110km以上離れています。なかなか遠いのですね。。
■豊後土工のふるさとにある銅像
さて、この街を訪ねたのは、この銅像があるから、でした。
松田菅蔵(まつだ すがぞう)さんは、この地に生まれ、技能者集団の先頭に立って豊後土工の技術力により、全国の土木工事で活躍した人です。当時のトンネル掘削の技能者は、血縁関係のある人たちが集まり、一緒に工事を行うことが多く、血縁関係がある弟子が日本各地で土木工事に従事するようになります。
そういう経緯が、こちらの銅像の碑文に書かれています。
碑文、ちょっと長いですが転記します。
また、この銅像の芳名帳には、
ということで、技能者集団のカリスマ的なトップであり、地域の発展にも貢献した人が、黒部ダムの地下発電所建設に大いに活躍していたことがわかります。
■暁嵐の滝
その銅像のすぐ近くには、こんな場所が。
暁嵐の滝と、瀧三柱神社と、岩壁が、集落のすぐ近くにあるという場所。この地が豊後土工の生まれた場所、と考えると、とても感慨深くなりました。
そして滝の上の坂を登った先には、
■浅海井の地を歩く
そして、もう少し浅海井の地を探索しました。
この日豊本線のトンネルこそが、豊後土工が活躍するきっかけとなった、地域の一大事業。このトンネルから、日本のトンネル技術が大きく発展したといってもおかしくないでしょう。
■終わりに
今回は、「豊後土工」のふるさとである、大分県佐伯市上浦町浅海井を訪れました。すごく神秘的な町に育った、豊後土工という技能者集団。その人たちが、黒部川第四地下発電所などの土木技術の発展に大きく寄与したということを、改めて知ることができた訪問でした。