歌を歌いに、赤羽へ・・そのついでに・・街歩き。
私の趣味は、街歩きなのですが、実はもう一つ学生時代から続けている趣味が・・。それは合唱です。学生時代には高校・大学と高校のOBが中心に活動している一般の合唱団に所属するなどしていていましたが、就職してから15年くらいはしばらく遠ざかっていて、最近は地元・多摩ニュータウンで活動するのオーケストラの合唱付きの楽曲を演奏するための合唱メンバーとして何回か活動していました。そこで秋田出身の皆さんと出会ったことがきっかけで、2018年に「大いなる秋田 東京公演」と言う演奏会に出演させてもらいました。今度2023年に、次の東京公演が開かれると決まったのでエントリー。本番は2023年6月です。
「大いなる秋田」という曲は、石井歓さんが1968年に作曲した、吹奏楽と合唱のための4楽章からなる楽曲で、秋田県の皆さんにとってはソウルミュージックと言ってもいいほど演奏されています。京都出身で東京在住、秋田県といえば、大湯温泉に泊まって十和田湖に行ったり、何度か通ったりしたくらいでしかなく、そんな楽曲があることを知りませんでしたが、第3楽章に出てくる秋田県民歌は、昭和5年に制定され、秋田県民なら知らない人はいないくらいに定着しているようです。
そんな楽曲を歌う機会を得て、第1回目の練習に参加してきました。5年前にご一緒した方々との再会や、新たな出会いもあり、とても楽しいひと時でした。本番に向けて仲間と楽しく集いながら、曲を完成していきたいと思います。是非秋田にも行ってみたいと思っています。
■練習会場である、「北区元気ぷらざ」という場所へ
さて、ここからは話題をガラリと変えて(笑)、練習に行くついでにつかの間のちょっとマニアックな街歩きをしました。最寄り駅・赤羽駅から徒歩10分くらいで到着する「北区元気ぷらざ」は、実はその昔鉄道線路が引き込まれていた場所だったのです。それを紹介したいと思います。
終戦当時(昭和20年前後)の赤羽駅周辺の地図を紹介したいと思います。赤羽駅の西側の赤羽台には、被服本廠など陸軍の施設がありました。戦時中の地図なので、被服本廠という文字が消されています。いわゆる「戦時改描」とよばれる、地図上から軍関係の施設をカモフラージュする一環だったのかもしれません。そして駅の東側には、赤羽駅の南側からカーブして東に進む鉄道線路が描かれています。この線路の先が、「元気ぷらざ」のある場所なのです。この場所には、鉄道省の発電所があり、この線路は発電所に石炭を届ける役割を果たしていたということです。
そしてその少し北側には、市街地の真ん中に、空地のベルト地帯が。こちらは、戦時中の建物疎開(空襲時の延焼対策で空地を強制的に作る)の痕跡と言えるでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、赤羽駅から線路跡を歩き、元気ぷらざを目指したいと思います。
北区元気ぷらざは、清掃工場の隣に建っています。温水プールと会議室等がある施設です。清掃工場の排熱を利用したプールが売りの公共施設のようです。
この場所まで引き込み線が伸びていたことは今では想像つきませんが、この地は発電所だけでなく、工場も多く立地していたようです。電柱のプレートに、「理研」の文字があったので調べてみましたが、ここには、理化学研究所で開発された研磨剤を実用化して販売する、「理研コランダム」という会社の工場があった場所だそうです。今は工場は移転し、イオンリテールに土地を貸してショッピングセンターが建っていたそうですが、現在建替え工事中のようです。引き込み線があるので、工場も立地しやすかったのかもしれません。
■終わりに
合唱練習に向かう会場とその周辺を街歩きして調べ学習するという、ちょっと変わった楽しみ方をしました。「大いなる秋田」の演奏は、これから完成に向けて練習を重ねていく予定です。特に合唱団はエントリーしている人の数も少ないようなので、もし一緒に歌いたい人がいたら、是非ご一緒しましょう。(さりげなくPRしています(笑)。)練習会場もいろんな場所で開催されるので、またちょくちょく街歩きを楽しみたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?