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◇八王子さんぽ◇①野猿街道と小野路街道

私は、多摩ニュータウン・南大沢在住の八王子市民です。多摩ニュータウン近辺を中心に、街歩きを多くしていますが、実はあまり行けていない場所があります。

八王子駅。市役所とコラボして、「八」の漢字がウォーキングの靴になっています。
2月は節分鬼バージョン(笑)。

それは、八王子駅の近くです。

八王子駅前にはたまに来ることがありますが、電車で行くのが不便(同じ市内なのに、一度県境を越えて橋本駅で乗り換える必要がある)なので、もっぱら車で移動することが多いです。その場合は、街歩きなどはあまりせず、目的地をさっと往復してしまうことが多く、歩いてみると、実は知らないことだらけ、と言う場所です。

ということで、八王子駅を起点に歩いてみました。今回歩いたのは、八王子駅の南東側のほうです。

八王子駅の南東側と言えば、南大沢から八王子駅の南口に車で向かうと必ず通る、「野猿街道」が通っています。国道16号が京王線と交差する北野駅前から、八王子駅南口にまっすぐ伸びる街道。ちょっと古めかしい街道にたくさんの車やバスが行き交う道です。この道沿いと、平行する旧道を歩いて見たいと思います。

■野猿街道沿いを歩く

野猿街道。八王子駅の南側のメインルートです。

まずはその、野猿街道を北野方向へ。しばらく歩くと、「六万坊」という、不思議な名前の交差点があります。

バス停の名前も、六万坊。

六万坊バス停。歩道が無い狭い道にあります。南大沢行きのバスに乗ると通る場所なので、不思議な名前の地名と思っていました。地名の由来等は、あとでこの街道の旧道を通るので、その時に説明したいと思います。

北野橋。JR横浜線と京王線の線路を跨ぐ跨線橋です。

JR横浜線と京王線を跨ぐ、北野橋に来ました。古そうな橋なので、ちょっと気になっていました。

人道橋が併設されています。人道橋は後年に新しく設置されたようです。
北野橋の親柱。

北野橋の親柱です。「昭和13年10月成」とあります。戦前にできたのですね。親柱の飾りは、立体的な東京都のイチョウでしょうか?

右から「北野橋」と書いてあります。

なかなか味わい深い親柱です。歩道が無くて車が頻繁に通るので、急いで撤収(笑)。

北野橋から八王子駅方向を眺めます。
下に見えている踏切が旧街道のようです。

北野橋から線路を眺めます。すぐ隣に踏切があり、それが旧道のようです。後から歩いて見たいと思います。

北野駅付近の交差点。ここで旧道と交わります。

この道は、北野橋を越えると、北野駅付近で国道16号と交差します。国道16号から八王子駅の南側に行くのには最も便利な道路です。

■野猿街道の旧道は・・・

次は、旧道を進んでみましょう。

踏切の全景。京王線とJRの踏切は別のものです。


旧道の踏切から、北野橋を見上げたところ。
踏切の名前は、「小野路街道踏切」といいます。

旧道にあるJR横浜線の踏切の名前は、「小野路街道踏切」です。野猿街道踏切と言う名前があることを期待していたのですが、いい意味で裏切られました(笑)。なんと、野猿街道は昔は「小野路街道」と言ったようですね。

この踏切の通る道を、「今昔マップ」で眺めてみましょう。

今の野猿街道に沿って、八王子から北野、由木を経て、
町田市の唐木田、小野路に向かう道。

小野路街道は、八王子から南東方向に、北野、下柚木などの集落を通り、町田市の小野路に向かう道でした。下に明治末期ごろの今昔マップの広域地図を貼ります。小野路は、地図の中央下側にある、宿場町のような集落です。八王子から小野路までまっすぐ線をつなぐと、途中に北野や下柚木などの集落を通ることが納得できるでしょう。さらに小野路は、多摩地域のもう一つの町であった、府中から、関戸(多摩市)を越えて、小野路につながる、今の鎌倉街道も通っています。こちらも府中と小野路を直線で結ぶと、途中の関戸の町がある場所が自然と理解できるところであり、小野路は当時は文字通り交通の要所だったようです。
また、小野路は埼玉からここを通り、矢倉沢往還(今の国道246号、大山街道)に向かい、大山詣でをする道としてもにぎわったとか。いわゆる多摩丘陵を徒歩で越える中継基地のような場所だったといえるでしょう。

広範囲の今昔マップ。左端の黒い八王子の町から、中央下端の小野路へ
まっすぐ線を引っ張ると、途中の北野、由木などの集落を通ります。
それが小野路街道です。

■旧・小野路街道を歩く

さて、小野路街道の説明が少し長くなったので(笑)、散策に戻りましょう。

線路内へ入らないで、の看板は、「原町田保線区」の名前が。
旧道と新道の間に、古いお地蔵さんもあります。

踏切の周りには、「原町田保線区」と書かれた看板や、古いお地蔵さんなど、古そうなアイテムも並んでいます。

北野から八王子までの旧小野路街道には、古いお地蔵さんも並びます。

旧街道の佇まい。非常に歩くのが楽しい道中です。

浅川の作った昔の低位段丘面に沿っているのでしょうか。

旧街道の左(南側)は標高が高く、右(北側)は、低くなっています。段丘面に沿って古い街道が走るような形になっています。段丘の下側は、洪水のリスクもあるかもしれませんが、段丘崖から水が湧くので、水を得やすかったりするので、集落が古くから立地していたのかもしれません。

段丘崖の下にある、子安滝不動尊

谷のほうに、子安滝不動尊という祠があります。由来の文章には、このようなことが書かれています。
 ・旧小野路街道に沿うこの一帯は、篠笹が生い茂っていた。
 ・泉が湧出し、滝があり、修行の場であった。
 ・明治時代は、水車があり、撚糸を生業としている人がいた。
 ・この近くに、「子安明神」が祀られていたので、この地を「子安」とよぶ。
 ・六万部の経文と刀剣を収めた祠があったので、「六万坊」という地名も残っている。

やはり段丘崖から水が豊富に湧き、その恵みを利用して古くから集落が栄えていた場所なのですね。大切な記録。地名とともに受け継がれていきたいものです。

祠の裏側を流れる小川。古い石積みが印象的。
小川に架かる石橋も印象的です。

滝不動尊の近くには、古そうな小川の石積みと、小さな橋があります。

道路改良時に、石積みとともに作られたのでしょうか?
祠を安置する平場が設けられています。

旧街道は、狭い中でも車を通す道路改良がされているようで、石積み擁壁がありますが、古い祠があるところだけ、少し拡幅されてコンクリートの祠安置場所が作られています。こういう土木構造物、興味深いですね。

野猿街道に沿った小径が旧道。お寺もいろんな形であります。
曲線が多いのも、古い街道の特徴のように感じます。

さらに野猿街道のすぐ脇にある小径の旧街道は、八王子駅方面に続いています。

山田川に架かる、小野路橋。
小野路橋と言う名前が、旧街道を物語っています。

山田川に架かる橋の名前は、小野路橋。古い街道の名前を残しています。

昭和62年にできた橋。市街地の真ん中です。

ここから小野路街道は、昔の八王子駅南口を通り、野猿街道に合流していきますが、あまり面影は無くなっているようです。

【終わりに】


八王子の町の散歩。ふらっと歩き始めましたが、なぜかメジャーなところでなく、マイナーな場所を見つけるとボルテージが上がる散歩でした。
さらにこの地域(子安・明神町地区)を中心に歩き回っていますので、次回以降はそのあたりのことを紹介したいと思います。
(次回に続く)


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