★京都で街歩き★①:梅小路・島原周辺を歩く
7月の3連休に、実家のある京都に所用ができたので、久しぶりに帰省しました。その際に街歩きをしてきましたので、そのことについて書きたいと思います。京都は学生時代まで20年以上住んでいたので、土地勘はあるのですが、若かりし頃には見えていなかった町の色々なアイテムを改めて眺めることで、新たな発見がたくさんあるのではないかと思いながら歩きます。
当日の夜(7月16日)は、祇園祭の宵山でした。久しぶりに昼間ですが、山鉾が建ち並ぶ中心部に行ってみたいと思います。中心部までどこを通って行くかは、まだ何も決めない状態で京都駅から探索スタートです。
■まずは、京都駅から。
京都駅に降り立ってふらっと歩いていたら、何と「トワイライトエクスプレス瑞風」に出くわしました。0番ホームを見学したついでに、そのすぐ近くに関空特急はるかと、北近畿方面への特急まいづるが停車していたので、「にわか鉄活」が始まりました(笑)。
京都駅から、ふと新たに開業した隣の梅小路京都西駅に行ってみたいと思い、1駅そのまま嵯峨野線の電車に乗りました。
■京都市内で一番新しい駅へ。
梅小路京都西駅は、京都水族館、京都鉄道博物館がある梅小路公園の最寄り駅。そういう場所なので、家族連れなどが多く利用していました。
この付近、今の地図と昔の地図(昭和40年ごろ)と比べてみると・・、
梅小路公園は、昔は貨物駅と機関区などがある場所でした。七条通りは市電が走っていて、すぐ北側に卸売市場があり、東京の築地と同じように、場外市場で賑わうような場所です。今回、この駅ができるのを契機に、嵯峨野線と大阪方面を結ぶ短絡線(貨物線)が廃止されました。
嵯峨野線の七条通りの橋は、駅を新設する際に架け替えられました。その架け替え、一晩のうちに古い橋を撤去して新しい橋を架ける工事をしていたのですね。このサイトに紹介されていますが、なかなかすごい動画があります。
■中央卸売市場・島原へ
このまま、嵯峨野線沿いに少し北に歩いてみたいと思います。
少し北に歩くと、市場の卸売業者が使うターレを見かけます。ここは卸売市場があるので、すぐ隣に仲買業者さんなどがあるようで、ターレが走るちょっと不思議な界隈です。
そして、その反対側には、「島原西門跡」という説明板が現れます。
島原は、京都にあった遊郭です。江戸時代初期にこの場所に移転してきましたが、その移転騒動が当時の「島原の乱」のようだったので、この地を「島原」と呼ぶこととなったなど、名前の由来には諸説あるようです。日本最初の花街と呼ばれているようです。
なお、島原は、ただの遊郭ではなく、和歌や歌舞伎などが栄えたため、この地は今も芸能関係者と関係が深いようです。島原住吉神社の寄進者に、当時の有名俳優である尾上松之助の名前や、映画会社などを見かけました。
もう少し東に歩き、島原大門を目指します。
島原付近の明治時代末期の地図を見てみましょう。丹波口駅は今より少し南側にあり、丁度島原のすぐ目の前にあったようです。西側に卸売市場はまだなく、その代わりに何と競馬場があったようです。
このお店、他の方のレポートもありましたので参照ください。とっても素晴らしいお店に出会えてよかったと思います。
大宮通まで歩いてきました。この大宮通は、私が小さい頃に当時の祖母の家が大宮通からさらにつながる千本通沿いにあったので、よくバスで通った道です。島原口と言うバス停も、この西本願寺の塀も、何だか懐かしい感じがします。今回はここまで。次回は、西本願寺や五条通方向を歩き、祇園祭の山鉾が建つ町を目指します。
■終わりに
京都駅から新しくできた梅小路京都西駅まで電車に乗り、そこから線路沿いに卸売市場や島原の町があった場所を歩きました。卸売市場界隈は、おそらく京都の他のエリアでは全く見られない、ターレが走り回る特別な光景を見ることができました。その隣の島原は、昔の花街の面影を残す風情ある町です。そこから島原口までの花屋町通も、レトロで趣のある町が続いています。やっぱり京都の探索は奥深いです。
次回は、西本願寺周辺から探索していきたいです。次回もお楽しみに。
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