◎「いちえふ」周辺の今を歩く◎(後編)富岡駅の今と昔を比べてみる
先日、「いちえふ」こと、福島第一原発周辺に行ってきました。前回の投稿で、とみおかアーカイブ・ミュージアムという、震災前後の町の様子を丁寧に保存するプロジェクトの一環で作られた博物館などを訪れた模様をお伝えしました。(前回の記事はこちら)
今回は、富岡駅周辺を歩いた模様をお伝えします。実は、富岡駅付近を訪問するのは、2014年2月以来約10年ぶりです。その時の様子も、あとでご紹介しますので、その模様も含めてご覧いただければと思います。
■東電廃炉資料館へ向かう
この地に降り立った一つの目的は、東京電力さんがオープンさせた、「廃炉資料館」を見学することでした。まずはここを訪問した模様からお伝えします。
廃炉資料館のすぐ近くにある、双葉警察署。
アーカイブミュージアムって、こういう震災の記憶を残す意味があるのですね。その記憶が、街中にも残されていて、何だかつながった感じがしました。
時間指定の予約制での案内となる資料館です。案内いただいた内容を簡単にご紹介します。
■富岡町内を歩く
普段は人通りが少なく、ちょっと寂しい通りになっていますが、こういう祭を通じて、少しでも活気が戻るといいですね。
■富岡駅前の風景(2023年11月)
富岡駅付近に来ました。「2023年11月」と書いたのは、実は、およそ10年前(2014年2月)にこの地を訪れていますので、その時の風景と対比してみたいと思います。
こんな感じの2023年11月の訪問でしたが、ここで、10年前の2014年2月に、時計を戻してみたいと思います。
■富岡駅前の風景(2014年2月)
2014年2月の富岡駅前は、当時まだ「避難指示解除準備区域」に指定されており、一時的な立入はできるものの、避難指示が出たままで、まだがれきの処理や除染が本格的に始まっていない状況でした。
その時期に、土木学会関係の視察で、この地を訪れたのでした。
■終わりに
東電の廃炉資料館を見学し、福島第一原発の事故と廃炉への道のりを学びました。事故が起きて、その後の廃炉に向けての対応など、現場では引き続き気の抜けない、そして目に見えないゴールに向かう、果てしない道のりを奮闘しながら歩んでいる方々がいらっしゃいます。そういう方にはエールを送り続けるのが大事だと思いました。
富岡の町は、10年前の訪問の際、津波被害の大きさや、避難指示の出た、誰もいない街、というものを見て、ショックを受けたことを思い出します。2023年は、鉄道も再開し、きれいな街ができ、放射線量も下がったものの、街に活気は戻っておらず、真の復興にはまだ道半ばであると改めて認識しました。
東日本大震災の被災地には、何度か足を運びましたが、是非機会があればまたこの目で確かめ、その状況を知り、できることを考えることが大事だと改めて認識しました。
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