■丹沢・大山を歩く■②大山阿夫利神社の石碑めぐり
前回の投稿で、現代の大山詣でのスタート地点、小田急線伊勢原駅から、バスで大山ケーブルまで到着し、そこから楽しいこま参道を通り、ケーブルカーには乗らず、険しい男坂を神社まで登ってきました。
今回は、大山阿夫利神社の中を中心に歩きたいと思います。ここに来て特にすごいと思ったのは、何と言っても石碑の数!境内だけでなく、山の麓まで含めて、至る所に石碑が飾られています。石碑と言うものは、過去にこの地に立った人が大きな思いを持って設置されているものが長期間残っているので、眺めるのがとても興味深いです。石碑巡りのようなことをしてみたいと思います。
■境内の石碑の数々
実にたくさんの石碑があり、それらを一つ一つ眺めているだけで、あっというまに滞在時間がリミットを迎えそうなので、面白そうなものに足を止めてご紹介します。まずは、こちらから。
この「東京開山講」が、参道の杉の苗を寄附したことを記念する碑です。必ずその講の講元や導師さんの名前が刻まれています。
このように、登山道の途中にも、至る所に石碑が飾られています。
石碑を眺めているだけで、いろんな時代、場所、立場の人がいろんなことを記念しています。個人的なことから会社を挙げてまで、様々です。
そんな中でも、ひときわ大きな石碑がありました。実はこの石碑、土木人に関係するので、長文ですが、碑文に記載されている内容をかいつまんで書くと、
横浜の土木建築業を営む人たちの講が、大山の頂上に灯台を築いたという話でした。
神奈川県知事 内山岩太郎の銅像です。戦後初めて民間の選挙で選ばれた知事で、20年間歴任しました。
こちらは、国学の祖 権田直助の像。埼玉県毛呂山町出身の医者で、国学を平田篤胤に習い、晩年は大山阿夫利神社と三嶋大社の宮司を務めたとか。
こちらは、ひときわ目立つ鋼製のモニュメント。「武蔵 川越」と書いてあります。明治37年 武蔵国入間郡川越町 とあります。
こちらは、川崎市の児童が戦時中に学童疎開で大山周辺に疎開していたことを記念する銅像。碑文が印象的なので、下記に転載します。
川崎市と大山にこんな関係があったとは、そしてこの地でも爆死した児童がいたとは・・。終戦40年を記念して作られた像が、色々なことを教えてくれます。
豆腐の碑があります。大山は豆腐で有名な地です。これも豆腐組合の大山講が寄付したものなのではないかと思います。東京豆腐商工組合の参拝24回記念が左に並んでいます。
日本遺産 大山詣でを記念した銅像。これはかなり新しい像です。
山上に置かれていた太刀、一つは山麓にある産業能率大学の学祭の名前、もう一つカラフルな太刀には・・・なんと、フワちゃんの名前が(笑)。
学祭に出演して、地元の大山詣での太刀を奉納するという企画だったようです。ゆるキャラ、クルリンのぬいぐるみが欲しいという直筆メッセージが添えられていました。あと、太刀だけに、「たちひろし」とか書いてあります(笑)。
大山阿夫利神社は、ケーブルカーに乗りさえすれば、こま参道の上からスムーズにアクセスできます。このすごい雰囲気を気軽に味わうこともできるのです。
今回はここまで。次回は女坂を下り、大山寺を目指します。
■終わりに
大山阿夫利神社は、江戸時代から庶民が大山講を作って多数参拝していたこともあり、無数の石碑が建ち並ぶ、非常に印象的な場所です。石碑や銅像など、寄進されたものを眺めているだけでも、偉人たちの営みや、各地のご当地自慢、戦時中に起きたことなど、様々なドラマを感じ取ることができました。
大山を歩くプチ旅、まだまだ続きます。
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