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自分自身になることが近道だった
ずっと料理をしてきて、美味しいものを作りたいって思ってきました。
だから若い頃は、まあ下積み的なものもやったし、いろいろとテクニック的なものも練習してきました。
美味しいレシピや、上手なテクニックを盗むべく、
たくさんのシェフの身近でその技術を見させてもらった機会も多くありました。
美味しいものも知ってる。
技術もある。
でも自分の思うような料理がなかなかできないなぁとずっと思ってきました。
そして何よりも自信がなかった。
みんなから美味しいって思ってもらわなきゃ、
どこかでそんな風に思っていたのだと思います。
万人受けするようなものがいいのだと、そういう方向を目指したこともあります。
でもなんか違うなぁと思いながら、うまくいっていない理由が何なのか、ずっとわからなかった。
それは今思えば、私の中に長いことこんな設定があったのだと思うのです。
”人から認められる→自分に価値がある”
そういう設定でずっと生きてきたような気がします。
だから、人から認められるような美味しいものを作らないと自分に価値がないような気がしていた。
そして、美味しいものを作らなきゃって、どこかで常にプレッシャーを感じていた。
だから、人に料理を出すときにどこか力んでしまっていたんだと思います。
これは、もう料理の話ではなくて、自分の中の心の話ですよね。
仕事で料理をしていたので、私の例として料理の話を出しましたが、
誰しもこんな風な、どうやったらうまくいくのかわからないという経験はあるのではないかと思います。
これは、言ってしまえば、自己肯定感とかそういう問題になるのかもしれません。自己肯定感という言葉を使うかどうかは別にしても、こんな風に、自分の中の設定が微細に日常の自分の行動に紐づいているなぁと感じます。
私が、若い頃に生きていくのが辛いなと感じていたのは、きっと
「人から認められないと、評価されないと、自分には価値がない」
と思ってしまっていたから。
人から認められるためには、努力しないといけない。
頑張らないと認められない。
つまり、英語で言うところの「Be」、そのままの自分では足りないから、
いつも「Do」で結果を出さないといけないと思っていたのです。
常に結果を出出さなければならないと思って行動「Do」をするのは、かなりプレッシャーです。
そんな風な設定だったから、生きづらかったのかなと思います。
でもこの「Do」に対する評価やフィードバックによって自分を定義するというのは、日本の社会ではかなり普通のことだと思うんです。
みんなも無意識にやっていることだと思います。
先日、同僚の男性から娘さんへの接し方について相談されました。
女の子への接し方がわからないと。
聞いたところによると、その同僚は自分の娘に対して今まで一度も「かわいい」と言ってあげたことがないそうなのです。
彼は、娘さんが何かやったことに対しては褒めてあげるとのことなのですが(「Do」に対して褒める)、娘さん自体(「Be」)を褒めたことは今まで一度もないと言っていました。
「よくできたね」と褒めることは誰しもがあるでしょうし、反対に褒められる側でもよくあることですよね。
私が子供の頃のことを思い出しても、テストの点がよかったら褒められる(反対に点数が悪かったら怒られる)ということは普通のことでした。
こんな風に私たちは、育っていく環境の中で、「何かよいことをすると褒められる」という学習をしてしまっているのですよね。だからそのパターンを大きくなっても繰り返す傾向はあると思います。
頑張らないと褒められないのですから、そのままの自分、つまり頑張っていない自分ではダメなんだ、と無意識の中に設定してしまっている人が多いのではないかと思います。
私もまさにそう。
だからどこかで、そのままの自分ではダメと思っていた。
そのままの自分ではダメだから努力して何かしらの結果を出さなければ、という設定になっていた。
そこは先ほども書いたようにプレッシャーの世界です。
もちろん、場合によっては効果的なプレッシャーもありますが、過剰なプレッシャーはストレスですし、それがあることで良い結果を出せないことも多いのではないでしょうか。
本来はリラックしていた方が実力が出せるものだと思います。
そんな風に力んでいたから、私にはいつも自分の料理がうまくできない感覚がありました。うまくいったとしても頑張ってやっているから、結果的に疲れてしまうといった感覚。
だから、料理は好きなのに、やってもどこか楽しくなくなってしまっていた。
でも、自分の中の傷が癒えてきて、設定が変わってきたら、
「頑張らない自分でもいいじゃない」
って思えるようになってきました。
そうしたら、焦りみたいなものがなくなって、
自分のペースで料理もできるようになりました。
結果を気にしないわけじゃないけれど、結果にこだわらない。
自分が楽しんでリラックスしてやったものが喜ばれるようになりました。
”自分のままで行動する→それが人から認められる”
こんな風に設定が変わったのだと思います。
自分のままで行動するときには力みや無理がないのですよね。
だからFlow(流れる)するのだと思うんです。
どちらの世界を選ぶかは自分次第だけど、
これからはそんな風に軽やかに流れていく時代が来ているように感じています。
私は、うんうん唸って努力するよりも、Flowする方が心地いいと感じるのでそちらを選びたいです。
そして、みなさんのところにも、「心地よい方を選びませんか?」という提案を投げかけるような出来事がきっと起こっていると思います。
「チャンスの神様は前髪がない」というのは、
よく言われることです。
チャンスが来たらすぐに掴まないと、通り過ぎていってしまう。
そして通り過ぎた後には掴むことはできない。
日常のサインをよく見て、軽やかに変化していきたいですね。
そのためには、まずは自分自身を見つめて自分を知ることがことが大切。
そう思う今日この頃です。