『悪は存在しない』と『GIFT』(ロームシアター京都ライブレポ)
音楽家石橋英子が、ライブ・パフォーマンス用の映像制作を映画監督濱口竜介に依頼し、その過程ででき上がった映画が、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲った106分のトーキー『悪は存在しない』(4月26日劇場公開予定)であるが、元の石橋の依頼に応える形で作られた「シアター・ピース」が、74分の無声中編『GIFT』である。
この『GIFT』のライブ・パフォーマンスは、国内では昨年11月23日の東京フィルメックスでしか行われていなかったが、2月24日、ロームシアター京都ノースホールで2回目となる上演があった。海外も含めれば7回目だそうだ。
なお私は『悪は存在しない』も、昨年11月26日に広島国際映画祭でのジャパンプレミアで鑑賞済みである。
『GIFT』と『悪は存在しない』は、あらすじは同じであり、使っている映像素材も、一部異なるものがあるとはいえ、多くは同じである。
ただ、『GIFT』は無声である。人物設定や登場人物たちが置かれた状況を説明する字幕は出てくるし、これがまた長文なのだが、読み切るには若干足りない程度の時間しか表示されない。セリフも字幕に起こされるものと、起こされないものがある。
象徴的なのは住民説明会のシーン。『悪は存在しない』のほうでは、住民の語りの多くは真摯で、言葉が豊かであったが、『GIFT』では圧倒的に言葉が足りないのである。表示される字幕は、『悪は存在しない』からすると乱暴な要約に見え、編集のテンポ感もやや早い。
この場面での石橋の演奏は強烈だった。畳み掛けるような戦闘的な音楽は、本当に同じシーンなのか?と疑いたくなるようなものだった。
ショットを刻んでつなげた無声の映像と、そこに合わさる即興の音楽を前にして『GIFT』の登場人物たちがとても「異物」のように見えてくる。上演後の石橋、濱口のトークショーでは「エイリアンみたい」という言葉も出てきた。
それを聴いて「私たちは『GIFT』を、『自然』の立場として鑑賞していたのではないか」と思った。
『悪は存在しない』では、役者の声があり、人間同士の対話があり、その対話がとても聴いていて「良く」、何かが生まれているような印象があったので、余計に自然と人間の対話の困難を突き付けられる感覚があった。しかしその意味するところは、鑑賞者である私がが、人間としてスクリーンの前にいて、人間として劇中の出来事を見ていたということなのかもしれない。
『GIFT』のライブ・パフォーマンスは、そうした「人間としての立ち会い」すらも揺るがすような体験だったのではないか。何を考えているのか分からない人間たちが右往左往し、画策し、行動をしているが、それらの意味は言葉の不足によって受け取りにくい。
一方で、湯気や煙のショットが頻繁に登場する。たばこの煙、うどん店から立ち上る湯気、薪ストーブのある家の煙突からの煙、積み上がった堆肥からのぼる湯気……。人間の活動によって生じるそれらは、『悪は存在しない』以上に強調されて登場する。自然からすれば、人間の話す言語よりも明確なメッセージたりうるだろう。
編集の妙と、即興演奏の真っ向勝負が、鑑賞者の認識を知らぬうちにひっくり返してくれる。こんなことが起こってしまっては、ため息しか出ない。さて、自然の目を体験したような気持ちになった後に、『悪は存在しない』はどう見えるだろうか。劇場での再見が待ち遠しい。
GIFT Eiko Ishibashi × Ryusuke Hamaguchi
2024年2月24日(土)17:00 / at ロームシアター京都 ノースホール
音楽・企画:石橋英子
監督・脚本・企画:濱口竜介
製作:NEOPA / fictive
プロデューサー:高田聡
撮影:北川喜雄
録音・整音:松野泉
美術:布部雅人
助監督:遠藤薫
制作:石井智久
編集:山崎梓
カラリスト:小林亮太
字幕デザイン:真崎嶺
エグゼクティブプロデューサー:原田将 徳山勝巳
キャスト:
大美賀均 西川玲
小坂竜士 渋谷采郁 菊池葉月 三浦博之 鳥井雄人
山村崇子 長尾卓磨 宮田佳典 田村泰二郎
※公演『GIFT』は3月19日も、東京・渋谷のPARCO劇場で上演があるようです。
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