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映画『熱のあとに』評/予想もしなかった人生にある悲惨と希望
愛したホストを刺した女の6年後の話と聴けば、狂気や激情をイメージするが、この映画はそういう作品ではない。むしろ自らの理性に従って信じるものを信じ貫いた結果そうなってしまったのが、主人公・沙苗(橋本愛)であった。
彼女にとって、生きることすら絶対ではなかった。木野花演じる精神科医に「全てを捧げるからこそ愛は永久不滅で、そのほかは愛に近いもの」と語る一方で「当時の自分にとって、生きることと死ぬことはそこまで変わらなかった」ともいう。だから愛の形が、生によるものか死によるものかは選ばれる余地があった。
確かに筋は通っている。しかし、筋しか通っていない、と思うのが普通だろう。普通に生きていれば、人は簡単には筋を通せないからだ。
沙苗の夫、健太(仲野太賀)は自分の感情を自分の言葉で話すことが苦手な男である。健太の仕事の客として現れた足立(木竜麻生)は、リアリズムを語る女である。
しかし健太も足立も、沙苗と関わる中で変わっていく。健太は自分の感情を言葉にしなくてはならない局面に立たされる。足立は自らの掲げるリアリズムの虚構性に向き合わざるを得なくなる。
「本当の愛」を信じ続ける沙苗の前では、自分の本心に蓋をしながら生きていくことは難しい。健太も足立も、ワナを仕掛けようとしたら、自分がワナに引っ掛かる、という映画の前半で示されるテーゼを体現するようなキャラクターである。
しかし健太と足立のたどる道は対照的だ。足立は矛盾に耐えきれなくなる。健太もやはり耐えられないが、足立以上に弱い人間であったことが彼を生へと仕向ける。
一方で沙苗も、周りとの関わりの中でもがき苦しんだ末に、自分の信じた「愛」を「疑う」という姿勢を獲得し、それに賭ける選択をする。
3人とも、本人たちは予想もせず、望んでいたわけでもない結論だったのかもしれない。それが悲劇となることもあれば、希望となることもある。ラストカットがあまりにもカッコいい。
(山本英監督、2024年)=2024年2月3日/シネ・リーブル梅田、2024年2月4日/シネマ―ト心斎橋で鑑賞。