映画『まともじゃないのは君も一緒』
※2021年5月4日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。
25歳にもなると、「普通」を生きることの背景にどれだけの努力があり、計り知れない困難があるかということが分かってくる。とはいえまだ25歳なので、「普通」との折り合いの付け方はそう簡単に定まるものでもなく、何について頑張るか、何については縁がなかったこととするか、その整理に迷う。
本作の主人公の一人、秋本香住(清原果耶)は自らを恋愛上級者と思い込むわりに、彼氏がいたことはない高校生である。アイデンティティー危機の嵐吹きすさぶ思春期は、同質化と差異化双方の競争が最も激化する時期の一つだろう。ゆえに「普通」への憧れと「普通」を蔑むような矛盾する態度が最も嫌らしく同居する。
その点、もう一人の主人公、大野康臣(成田凌)は数学研究者の道を諦めて予備校講師になったクチだから、多分僕と同年代か少し上くらいの年齢設定だと思う。大野は自分では「普通」だと思っているが周りから見たら全く「普通」ではない。だから自然と人が離れていく。そういうタイプの人間であることを自覚している。
来るところまで来てしまった──。そういう焦りを持ってしまえば、香住のような「普通」への態度は取れない。大野は「普通」を諦めきってしまうかどうかの瀬戸際にあり、だからこそ香住の「一生結婚できないよ」という発言が引き金となって、いったん「普通」に自分を近付ける努力を決意する。最後の賭け、くらいの気持ちだったのではないか。
香住や大野の人物描写は、最初はカリカチュアに過ぎるような感じがして肌に合わないなあと思って見始めたのだが、次第にそういう不快感が薄れていった。その背景には、大野の切迫感が共感するものであったのと同時に、そうした切実さを受け止める力があるという点で香住が「普通」ではなかったことへの尊敬が芽生えたことがあると思う。中身がなく胡散臭いことばかり言っている青年実業家・宮本功(小泉進次郎)に心酔するわりには、そういう人の機微を理解すべきところでちゃんと理解できるくらいには、世の中を見下しきっていない。そういうバッファーがあるのが香住の人間らしさだった。
だから本作は「あなたはあなたのままでいい」一本槍の映画ではない。戸川美奈子(泉里香)が最終的に選ぶ道もちゃんと肯定したのが本作のいいところである。思い出すのは『花束みたいな恋をした』の終盤。ファミレスのシーンでも麦(菅田将暉)が提示する家族像は、それは一つの選択肢として否定されてはいない。理想と現実の間にはさまれながら、それぞれが限定された状況の中でそれぞれの合理性を持って選択した結果を誰が否定できようか。そういう生きることの厄介さを本作もちゃんと捉えている。
(前田弘二監督、2021年)=2021年5月3日、シアターセブンで鑑賞
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