濱口竜介監督『親密さ』(2012年)
※2022年5月7日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。
5月5日午後にシネ・ヌーヴォの濱口竜介特集上映で鑑賞してから、どうも落ち着かない。すごいものを見てしまい、受け止めきれなくて、ずっと心拍数が大きいまま今に至っている。
以下は、その落ち着かなさを書き残そうと思って記すものである。あらすじは他の人の文章を読んで欲しい。
劇中で何度か登場する「言葉のダイヤグラム」という詩がとても胸を打つ。私は詩からなにかを受け取ったと感じられたことがなかったが、この詩は多分今後の自分の生活の中で時折思い出され、つぶやかれることだろうと思う。下記はその抜粋。
夜明けの多摩川・丸子橋を渡る令子と良平の会話は、微妙に噛み合わない。が、この微妙な噛み合わなさは、2人が精神的な深いつながりをたしかに持っていることの証しでもある。2人はこのとき「ほんの一瞬 同じ速さで走」ったのだ。
2人の決裂は決定的かと思われた直後のシーンに、私たちは2人とともに丸子橋を渡ってしまった。演劇と恋愛という、若き男女にとっては、実存を賭して臨まざるをえない営為に身を費やし、もはや限界を迎えようとする中で起きたささやかな和解は、あまりにも美しい。
「想像力が降りるべき駅で降りること/次に乗り込むべき言葉に乗ること/ただそれだけ」と分かっていながら、それが現実には困難であること──。第1部の絶え間ない緊張と苛立ちにより、嫌というほど経験した者たちによって作られる第2部の舞台劇は、このテーゼを反復しているともいえる。
受け渡したい言葉を受け渡せない。そのことを意識しないことを選択できない。舞台劇の登場人物たちの葛藤もまた切実で、心身を切るような痛みがある。
人間の弱さ、小ささを前面に押し出し、登場人物たちも決して幸運な結末を迎えるわけでもないのに、私たちはあのテーゼを捨て置けない。それは令子と良平の和解が、別離を決定づけたとしても、その和解の瞬間の美しさ故に人間の理想を捨て置けないのと同じである。
濱口竜介という映画作家は極めてヒューマニズムの人だと、本作を見て思う。エピローグに当たる最後の10分間は、もうこれ以上ないような人間讃歌だ。呆気にとられるような展開なのに涙してしまう。
ここまで書いて、ああ、陳腐なことばを並べてしまった、と後悔する。もう何を書いても本作の圧倒的な力を伝えることはできない。とにかく落ち着かないのである。
(2022年5月5日、シネ・ヌーヴォで鑑賞)
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