待鳥聡史『政治改革再考─変貌を遂げた国家の軌跡』
※2020年6月5日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。
なぜ広範囲にわたったのか、こんなはずではない現状に至るのはなぜか
衆院の選挙制度改革、内閣機能強化、省庁再編、政党助成金制度、地方分権改革など、日本では1990年代以降の十数年にわたりさまざまな政治改革が起こりました。2009年、2012年と2度の政権交代をもたらす一方で、政治家の質の低下や一強多弱の弊害などの原因としてやり玉に挙げられることも多く、必ずしも評価は好ましいわけではありません。
なぜ平成の政治改革は広範囲にわたったのか。改革の共通性は何か。そしてなぜ改革の帰結はうまくいっていないのか。こうした疑問に著者は「近代主義」と「土着化」というキーワードで答えています。
90年代の種々の政治改革の背景説明として著者は「平成デモクラシー論」にシンパシーを示します。これは各領域での改革が一貫した考え方に沿って展開されたという見取り図を描きます。その共通認識とは、戦後体制の行き詰まりと、その打破を求める有権者の内発的な動きです。
日米同盟を前提とした軽軍備と経済重視の路線は、80年代まで利益誘導型政治を展開する自民党政権によって担われ、同党やそれを支持する業界、官僚制において、内部は多元的だが密接な協力関係を築く一方で、そこに属しない勢力に対しては極めて排他的である状態が続きました。ところが冷戦終結、バブル崩壊といった社会環境の劇的な変化に従来の政治体制は十分に応答できず、またリクルート事件に代表されるように政治倫理問題が浮上したこともあって、改革の機運が醸成されます。その帰結こそが、政党間競争の促進と、前例にとらわれない課題解決可能な公共部門の追求だったわけです。
しかし平成デモクラシー論は、各改革の共通性を強調するあまりに、領域間の不整合に十分な目配りができていないと著者は指摘します。例えば、環境変化に応答的な政治を実現する目的で、国政レベルでは(頻繁な政権交代を可能にする枠組みを前提として)トップリーダーへの集権化が進んだはずなのに、中央─地方関係で言えば地方分権が進み地方政府の自律性が確保されたことで、国政の集権化のメリットを低減させることになりました。
近代主義右派が担った政治改革
そこで著者は平成の政治改革の基盤が「近代主義」の実現にあると位置付けるのです。「日本社会を構成する個々人がより自律的になり、自らが関わる事柄について自ら責任を持って合理的に判断する主体として行動すること、そのような行動の集積によって日本社会の物事の決め方や進め方が合理化することを望ましいとする考え方」こそが改革の根底にあったとします。
20世紀後半の国際社会は大戦への反省に立ち、自由主義とその経済的表現である資本主義が一体化し、自由な個人を平等に扱う民主主義とも一体化します。しかし日本では戦後処理の経緯もあり、近代主義は主に共産主義陣営が担うという(国際社会から相対的に見れば)バイアスが生じました。逆に本来の近代主義の中心であるはずの自由主義は、55年体制成立によって復古的な保守主義と連携を取ることになります(すなわち自民党の誕生です)。
90年代の政治改革は、革命や敗戦のような過去との非連続なものではなく、あくまでも80年代までの仕組みによって成立した政治権力によってなされるものですから従来の権力の枠組みが影響してきます。つまり改革も自民党内部での推進勢力がなければ実現しないわけです。この勢力こそ、自由主義(近代主義右派)であったと著者は整理します。
「土着化」による改革間の不整合
近代主義という一貫した基盤を持ちながら、改革の領域の間に不整合が生じて効果が弱められてしまった。この観点の下、著者は不整合を説明する概念として「土着化」を提示します。近代主義という理念は抽象的であり、実際に各領域で制度改革を行う際には、その領域における課題認識との整合性が図られるため、一連の改革を全体としてみれば齟齬が生じてしまうというモデルです。
本書は各領域における「土着化」の経緯、そして改革を担った近代主義右派が多数派を形成する過程をたどります。具体的には、改革の方向性を位置付ける審議会や有識者団体の答申・提言を参照しつつ、新聞報道などを元に「総論賛成各論反対」だった陣営が最終的に制度改革へ賛成するに至る流れ(もちろんそこには改革案の修正が積み重ねられます)を追っていく手法をとっています。
例えばいわゆる橋本行革の分析。環境変化への応答性という観点から考えれば改革の本丸は、省庁ごとの縦割りを廃して首相のリーダーシップを確立させる内閣機能強化であるはずです。しかし行政改革は長らく、福祉国家化で政府の役割が肥大化する中で、組織や人員の削減、官僚の影響力削減のほうが注目され続けてきました。改革直前の総選挙では新進党が高級官僚半減を訴えるなど、実際に行政のスリム化が政治争点化していました。
橋本行革は結果的に省庁再編が前面に押し出され、内閣機能強化はその一部として土着化します。改革当時は、首相のリーダーシップを確立させるには議院内閣制である以上、政府─与党関係のほうが重要なファクターと考えられ、ゆえに選挙制度改革に比べて内閣機能強化は効果を疑う見方のほうが大きかったといいます。
しかし実際には選挙制度改革と内閣機能強化がうまくかみあったことで、小泉劇場や安倍一強のような首相のリーダーシップは強固に実現されます。一方で行政のスリム化を実現させた「省庁再編」自体は必ずしも効果を上げたわけではなく、たとえば独立行政法人などの制度による実務のアウトソーシング化は、大学と文部科学省の関係に象徴されるように、省との関係ばかりが強くなる一方で、有権者への説明責任をどこが担うかが曖昧になる「近代主義」からみれば不健全な在り方になってしまいました。
本書の白眉はこのような、近代主義理念に基づく改革の土着化の過程にまつわる分析にあるといっていいでしょう。当時、改革の本丸として争点化し多数派形成のカギになった論点が、その後の改革の帰結への影響度に必ずしも貢献していないさまを示し、なぜそのズレが生じたのかを明らかにしようとしています。
「実質的意味の憲法改正」
著者は一連の政治改革の広がりと意義を「明治の近代国家建設、戦後の占領改革に匹敵するとさえいえるかもしれない」(48ページ)とします。憲法とは、単にそう称する法典のみならず「統治機構に関して定めることにより、政治権力の所在と担い手を明らかにするとともに、それぞれの担い手が行使できる権力の範囲を確定させるルールの総称」(同)と解するものです。であるならば一連の政治改革は「日本の政治や政府のあり方のみならず、国家と社会、公共部門と民間部門の関係さえも変えようとするプロジェクト」(49ページ)であることから「実質的意味の憲法」の改正であると言えます。
本書の分析の範囲は冒頭に列挙したような、90年代以降の政治改革として通常イメージされる政府、国会、地方に関するもののみならず、日本銀行改革(と、セットとしての大蔵省改革)や司法制度改革をも含みます。これほど大規模な「憲法改正」が、革命や占領に伴わない形で実現する先進国はむしろ珍しいという指摘は新鮮です。
現在、再び政治状況は行き詰まりを見せています。政治改革が新自由主義の実現という枠組みで語られることが多かったこともあり「改革疲れ」の風潮も出ています。しかし著者は領域間の不整合や、改革が着手されなかった領域(例えば参議院)を問題視し、さらなる改革が必要だと主張します。このあたりはいかにも待鳥氏らしい意見だという感じがしますが、現在の世論に統治機構改革を求める機運が高まっているとは言い難いことは認めています。
それでもなお、より望ましい政治のためには政治改革は不断でなければならないとする著者の主張に説得力をもたせているのが、改革が実施に移されてからの土着化の例として司法制度改革を取り上げたことでしょう(法曹養成制度をめぐる紆余曲折など)。逆に言えば改革実施時点ではアクター間で理念が共有され、土着化を起こさなくても良かった例と言えます。なのに結果的には実態が追いつかず、土着化してしまった。その現実を前にしてなお、「想定された帰結を導くためには、改革の全体像とそれを支える理念を明確に定め、土着化による影響をできるだけ小さくすることが必要となる」(279ページ)と説くのは、いささか無理があるのではないかとも感じました。
(新潮選書、2020年)
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