女友達、変わっていくもの、変わらないもの
突然だけど、友達の事が大好きだ。
中高時代にオタク活動をしていた頃も、オタ活を休んでおしゃれや恋に夢中だった頃も、
お互いの状況やコンディションがそれぞれ違えど、仕事に悩んだり、恋愛に行き詰まったりして沢山相談に乗ってもらっていた頃も、いつも支えてもらっていた。
「どうせひとりだし」と拗ねてみても周りをふと見ると、いつも友達が「話聞くよ!待ってるよ!」とニコニコ微笑んでくれていた。
だから「全部ひとりで乗り越えてきた」なんて独りよがりなことは口が裂けても言えない。
けっこう面倒くさいこだわり屋の私と友達になってくれて、今もなお友達関係を継続してくれていることに心底有難さを感じる。私が大金持ちなら気持ちとしていっそ謝礼を渡したいほど。すぐ課金に例える癖が出るオタクでスマンけど。
そんなわけで、友達について思いの丈を綴ってみたいと思う。いや、ただ単にここで友達自慢をさせてください。
ずっと付き合いのある友人は、主に高校1・2年生の時に出会ったメンツだ。
はじまりは、どれも「席が近い」のが理由で話すようになった。
そうしたらそのうち、お互いの趣味が「漫画・アニメ」ということと、みんなほぼ漫画研究部に入部志望と分かり、以来ずっと付き合いが続いている。
その中でも一番仲良しの子がサツキちゃんだ。
周りから「いつも一緒にいて双子みたいだね!」と言われるくらいの仲良しで、彼女いわく「私が入学して、一番最初に話をしたのはちひろちゃんだったんだよ」だそうだ。
(一番仲良しと言っておきながら覚えていなくて申し訳ないけれど……)
ちなみにサツキちゃんとはクラス替えがある中で3年間見事に一緒のクラスだった。
それに加えて飼っていたペットの名前も「さくら」「チェリー」とひじょうに似ていて、一番最初の彼氏の名前と、今のパートナーの名前の響きがたまたま偶然同じなので、もう笑っちゃうくらいに二人して運命を感じている。
女子校だったうえに小さなグループなので、もちろん折々にいざこざもあったけれど、それ以上に楽しい日々だった。
ふと、思いつく限りの思い出のキーワードを並べてみる。
服装検査とチェーンメールと洗濯カゴ、学校前のセブン、原稿合宿、「いつも1Lの緑茶にストロー刺しじゃね?」、第2保健室の放送室、受け攻め論争、集合はシダックスとココス、カプリチョーザのカボチャのタルト、文化祭でガンダムSEED最終回鑑賞、修学旅行でも徹夜原稿、駅員イマイさんへの唐突のバレンタインチョコ渡し……などなど
どれもこれも身内にしか分からないネタだけれど、3年間のうちに色んな良い部分、微妙な部分を知って途切れることなく付き合いは続いている。
それぞれ進学先や仕事関係の「友達・知り合い」が出来ても、やっぱりみんなの中でも特別なのか、定期的に遊んだりしている。
卒業後に大人になるにつれ、恋愛、仕事、結婚、子育て、親の老後。色んな事が追加されてくる。
おしゃれやメイクの相談に、変な男かどうかのジャッジ(結果、みんな恋愛力に乏しいのでアテにならない事が多い……)、相談してない事ないぐらいに色々話した。
今でもふとした時に何だか話を聞いて貰いたい相手に、友達が浮かんでくる。
そのたびに、かけがえのない存在なんだなぁとしみじみと思う。
お互いの近況は何となく知ってるから誰かに良い事があれば嬉しいし、自分にはよい事でも、友人のタイミングからするとモヤモヤに感じるかもしれないなという時は、お互い少し間を置いてから連絡を取り合う。
今は自分の状況が最悪だから拒絶してそのまんま……ということもなく、みんな自分と相手のお互いの心の距離をやんわりしながら付き合っている。そういうふうにできる部分が大人だし、自然に付き合いを続けられる関係って良いよねとも思う。
友人がどの子もそのようなタイプなのもありがたい。
もし、私の近しい人たちに「ちひろは優しい」と思って貰えてるのだとしたら、それは全部友人のおかげに他ならない。
むしろ私の優しさなんて、友達みんなが私に与えてくれた優しさの1ミリにも届かない気さえする。そのぐらい、友達の方がずっと優しい。
私が優しいのだとしたら、それは全部友達が作ってくれたものだと思う。
そもそも私は、「友達を持つこと」が不器用なタイプだ。
自我も何気に強いほうだし、譲れないこだわりや、自分の意見を通したい我儘な部分もある。
私の嫌な部分をぐっとこらえて根気よく付き合ってくれてるんだろうなと思うところ沢山あると思う。
だからこそ大人になり、いくらか落ち着いた今では、友達の温かい心がよりいっそう有難いし、友人をそんな風に優しくお育てになった親御さんにも感謝のかぎりだ。
友達って不思議なもので、どんなこともひっくるめて一緒に楽しめるのが友達とも思うけれど、
大人になり生活環境や仕事内容・状況が変わると付き合い方も変化してくる。
その中でも「無条件にどんな状況でも変わらず付き合える人」と、「状況により付き合い方をちょっとずつ変動していったほうが付き合いやすい人」に分かれるのではと思う。
もちろんそれは両方あっていい。だって色んな付き合い方をした方が人間の幅も何となく広がる気がするし。
定期的に会うなど密に付き合う友人がいる一方で、
・年賀状だけずっとやりとりを楽しみにしている友人
・いにしえジャンルのオタク活動(セーラームーン展など)の時に会う友人
この2つでやりとりをしている友人も、ずっとずっと大事にしていきたい。
年賀状は年々減少傾向にあるけれども、この年賀状のやりとりくらいの間柄が丁度よくて、「あの人元気にしているかな?」と思うことが支えになって毎年楽しみにしている友人がいる。
最近は調子を崩しているようで心配しているけれど、「ちーちゃんとの年賀状が本当に楽しみなんだ」と体調をおして震える手で書いてくれていた。
その文面を見るだけで胸が熱くなるし、そんなの毎年いくらでもやりとりするよ!って気持ちになる。
今年もその子のことを考えながら、年賀状が書けるのも楽しみなかぎり。
今回は結婚報告を兼ねての年賀状になるため、彼女も喜んでくれたら嬉しいなぁなんて思う。
ふと思い出したけれど、かつての知り合いに、女の友情とやらをバカにしていた人がいた。考えは完全なる男尊女卑のタイプだった。
結婚や出産の他人との比較で、妬みや嫉妬でそんなのは脆くなるなんて言いぐさだった。
そういうことだってあるかもしれない。だけどそれだけじゃ括れない。何にも分かっていない。そんなのは「たかがそんなこと」というものに過ぎない。
ちなみにその人は友達はほぼいない。
だから、なんにも見えていなくて当たり前だし、その人に分かってもらいたいとももう思わない。
私の優しい友人たちにそんな風にレッテルを貼るのが許せなかったし、未だに許していない。
もうさ、ほんと友達の旦那さんも子供も幸せ者で羨ましい!
こんなに心が豊かで性格も明るくて楽しくなることを見つけるのも上手で、礼儀正しくて料理も上手で愛情が深い子の傍にいて、幸せを感じない人なんかいない。
そんな優しい友人がパートナーを幸せにしていたり、子供にとって頼もしいお母さんを頑張っている姿を見るたびに「そうでしょ!私の友達はすっごく素敵だもん!」と自慢したい気持ちにもなる。
うちの母親も「あんたの友達みんな「結婚のご挨拶」にきても、親ウケが100%良いくらいにいい子揃いで凄い!」と褒めちぎるほどだ。
それともう一つ声を大にして言いたいのは、パートナーの職業や子供の学校とかの変なマウントや自慢がないのもいい。(本当はあっても気付いていないだけかもしれんけど)
むしろ卒業した学校は元々「見栄?何それ美味しいの??伴侶の自慢?他人の栄光を自慢して何か楽しいことでもあるんか??」って感じに気にしないしユルめ。
普段も話していて、旦那さんの事をふざけて貶す子が本当に一人もいないのがすごい。
パートナーに対しても、まじめに仕事してるだけでも尊敬!偉い!と「いつもありがとう!」の気持ちを伝えられているからか、おしどりカップルや仲良し夫婦が多くて勉強になっている。
とくに旦那さんと仲良しの友人曰く「ママ友同士は旦那の悪口晒しになるのが嫌すぎて、聞いてはいるけど話には乗らない。むしろ本当に惚気しかないから話せる話題がない。旦那さんを貶して喜ぶ文化変わってくれないかな。なんでパートナーのことを悪く言うのか。そんなのちっとも楽しい話じゃない」とまで言っている。
おかげで私自身も結婚に対して前向きな気持ちを持ち続けられたってのもある。
旦那さんの話題になっても「本当に仕事一生懸命で頑張ってくれてて、疲れてるときもあるから心配なんだよね ⇒ 元気が出そうな美味しいご飯なにがいいかな~?」の相談に展開が多い。
そのくらい、いつも自分の事よりも周り気持ちを優先して動くことのできる子ばかりなのだ。身勝手な子が一人もいないのがすごいなぁと思う。
(むしろみんな自分を見返らなさ過ぎて心配。ちゃんとご自愛しよ!!)
子育ても悩んだりしてるだろうけど、よく頑張ってるもん。
この子が君のお母さんなのは幸せ者だよ!人柄も申し分ないお母さんなんだからね!冷たくしないで、ちゃんと大事にしてね!!と何目線?ばりに子供に声掛けをしたいくらい。
お母さんになったら、一生懸命な部分がより光っているように見えるし、「あぁ、やっぱりこの子は愛情深い子だったんだな~」と再確認しているみたいだ。(でもほんとにご自愛してほしい!)
一緒に青春時代を過ごせた友達がこんなにもいとおしいのは、やっぱり3年間の学校生活の中で、部活に趣味にと濃密に付き合ってきたからかもしれない。
ふざけて笑ったり喧嘩したり、朝早くから無駄に遅くまで教室に残って喋って、親には話せない悩みなんかも話したら一緒に泣いてくれたり、本当にかけがえのない時間を過ごせたことが大きい。
ぜんぶ、優しさあってのこと。
変化ってその人を変えるというのもあるけど、さらに彩りをもたらすアップデートなんじゃないかな~と感じている。
それにどうせ変わるのなら「よりよきものへ」になったらもっと良い。
学生の頃から変わらないところも、環境で変わっていった部分も、みんなまとめて素敵だよって思う。
友達への熱量がありすぎて自分でも驚いているけれど、そのぐらい私が思春期に色々あって本当に死にたいぐらいに悩んでいた時に、寄り添って傍にいてくれた感謝が大きい。
私が今こうして一人にならずに済んでいるのは、ずっとそばにいてくれた友達たちのおかげだ。
それを伝えれば「そんなのは水に流せ!トイレに流して濾過して綺麗に大海に流してしまえwww」ときっとみんな口を揃えて言うに違いないけれど、あの時に一緒にいて与えてくれた恩を、ずっとずっと返していきたい。
……思いの丈を綴るというよりも、これって結局ラブレターだな!