【2024年12月28日正午の英語史緊急速報】3人称複数代名詞 they をめぐってたいへんなことが起こっています
英語史テロが勃発
本記事が公開された時点より直近24時間以内に、hel活界隈から they に関する3本のウェブコンテンツが同時公開されました。they を狙った英語史テロです。犯人はすでに特定されています。それぞれ独立した犯行と目されてはいますが、真相は定かではありません。
事件の経緯を時系列で追いかけます。
2024年12月28日 16時36分、菊地翔太先生(専修大学)が note にて「they の5つの用法(the Great Pronoun Shift)」を公開する
2024年12月29日 5時48分、heldio/helwa リスナーの ari さんが note にて「#147 【英語史クイズ】 人称代名詞で最も新しいのは、I? we? they? she?」を公開する
2024年12月29日 7時58分、heldio/helwa リスナーの川上さんが X 上で「【日曜英語史クイズ8】」を公開する
3人称複数代名詞 they の OED 初出例文を読み解く
この事件の背景を理解する一助として、英語史における they の初出例文を読み解きましょう。
OED によると、they は 1175年頃にイングランド中東部方言で書かれた Ormulum という約2万行の説教詩に初出します。Ormulum において they は3人称複数代名詞として常用され遍在してはいるのですが、OED での初例として掲げられているのは、その125--27行の例です。
見慣れない文字がいくつかありますね。<þ> と <ð> は現代の <th> と読み替えてください。また、<ȝ> は <y> に、<æ> は <a> に、ひとまず読み替えてください。現代とは異なる初期中英語期の綴字で、かつこの書き手のクセの強さが反映された綴字なので、読みにくいとは思いますが、じっくり眺めて現代風に翻字してみてください。少しずつ見えてくるのではないでしょうか。
原文の語順をなるべく据え置きながら、単語と綴字を適当に現代化した疑似翻訳文は次のようになります
全体としては so ... that 構文です。「彼らは、老いるまでそのように人生を送ってきたため、性交を通じて息子や娘を作ることがなかった」となります。
原文では、この短い文のなかに、5回も3人称複数代名詞が現われています。(1) þeȝȝ, (2) heore, (3) teȝȝ, (4) ðeȝȝ, (5) þeȝȝre です。
(1) þeȝȝ, (3) teȝȝ, (4) ðeȝȝ はいずれも主格の形で、現代の they に直接つらなるものです。それぞれ語頭子音の文字が異なっているのがおもしろいですね。(1) と (4) の <þ> と <ð> は古英語・中英語を通じて任意に交替可能な文字だったので、書き手の気分の赴くままにフラフラと変異します。(3) では <t> が用いられていますが、これは直前の単語が þatt (= that) であり、この語末の /t/ 音が、問題の代名詞の語頭音を飲み込む形で同化させてしまったためです。
(2) heore と (5) þeȝȝre は、所有格(属格)の形です。(5) þeȝȝre は現代の they につらなることが分かるかと思いますが、(2) heore の語頭文字 <h> はどういうわけでしょうか。そのわけは、古英語ではもともと th- で始まる3人称複数代名詞はなく、h- で始まるものしかなかったからです! 古英語では3人称複数代名詞は hīe (主格)、hīe (対格)、hira (属格)、him (与格)のように活用し、すべて語頭に h- があったのです。ここでの (2) heore は、古英語の hira を継承した語形ということになります。
では、th- で始まる3人称複数代名詞は、いったいどこから来て、どのように本来の h- 形を置き換えていったのでしょうか。議論はありますが、一般的には th- 形は古ノルド語(8世紀半ばから11世紀にイングランドを襲った北欧ヴァイキングの母語)の3人称複数代名詞(もとは指示代名詞)の形を借りたものとされます(その主格の形は þeir でした)。これが12世紀後半にイングランドの中東部方言や北部方言に入り、徐々に旧来の h- 形を駆逐していきました。Ormulum では、主格はすでに新形の th- のみが用いられていますが、所有格(や目的格)では、今回の例文にみられるように、旧形の h- と新形の th- がいまだ共存していたのです。
『英語語源辞典』で they の項目を確認
『英語語源辞典』新装版(寺澤 芳雄(編集主幹)、研究社、2024年)にて they の項目をじっくりお読みください。
私は長い間英語史界に身を置いてきましたが、今回のような英語史テロ事件を目撃するのは初めてです。なので、事件に便乗してみました。
本事件については、2024年12月29日正午に Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」より「【生配信】ぜいぜいしながら heldio 緊急生配信」としてもお伝えしました。