
🤱あなたの為を思って【髪を切る日】 990
前話
全話収録マガジン
自意識過剰な中高生にとって、ヘアスタイルは死活問題。
大袈裟だけど、くるくるドライヤーでスタイリングしないことには家の外には出られない。
今ならアイロンかしらね。
小学生の頃はサラサラの黒髪ストレート。
偶にはダウンスタイルにしたかったけれど、母の趣味だったのか高めのツインテールが多かった。
若しくはたまにポニーテール。
中高生の頃には、いつしか太くて硬くてボリューミーな癖毛に変わってしまった。
毎朝、登校前に自分の髪にウンザリ。
結えると注連縄のように太くなってしまう。
切りたい。
友達と一緒に美容院に行きたい。
テレビで観る○○ちゃんやクラスメイトの□□さんのようなヘアスタイルにしたい。
許されなかった。
会場(母が信仰する宗教の集会場の通称)には、髪を切ってもいい日•切ってはいけない日があった。
会場の出入り口近くには、毎月「良い日」「悪い日」「出の日」「入りの日」が貼り出されていて、髪を切るのに相応しいのは「出の日」ではなかったか?
「物事が継続している間は切らない方が良い」「成し遂げたいことがあるうちは切らない方が良い」「物事が一段落して暫くしてから切る方が良い」等という教えもあった。
バッサリ切ると事態が大きく変わってしまうから、切るとしてもせいぜい5cm以内が良いとか。
願掛けみたいなものと何が違うのだろう?
世間的には証明写真を撮る前や面接前や入学式•始業式の前に髪を切ることが多いと思う。
私もそうしたかったけれど、母の信仰心はそれを決して許さなかった。
好みの髪型次第でやる気も出るのにと思っている私と、髪を切る時期によって成績や学校生活が変わってしまうと本気で信じている母。
現在はグループホームに入所している母だけれど、コロナ禍以前は亡父の病気(慢性心不全•間質性肺炎の末期•終末期)を治す為に毎日会場に通っていた。
もちろん母は何年も髪を切らなかった。
年齢を重ねるほど清潔に身綺麗にしてほしいからと、「みっともない」「恥ずかしい」「お父さんはきれいなお母さんの方が好きな筈」と言ってもびくともせず、薄く細くなった髪を、長く伸びるに任せていた、恐るべし信仰心‼︎
今はグループホームで訪問美容師を依頼し、定期的にヘアカットしていただいている。
他にも「デニムはいけない」「サンダルはいけない」「赤い靴はいけない」「ブーツはいけない」「ストライプ•ボーダー•ドット柄はいけない」「バックプリントはいけない」「英字ロゴはいけない」「アニマル柄はいけない」「明るい色を着ないといけない」「牡丹はいいけれど薔薇はいけない」「花柄は良いけれど葉柄はいけない」「白色はものにならない」「黒色はお先真っ暗」「雨の日に買い物をしてはいけない」「食料品以外は地下で買ってはいけない」……
会場自体は大らかで、教えを守らないからといって罰則があるわけではないし出入りを制限されるわけでもない。
厳密に守っていない大人も子どもも大勢いらした。
異様なほどの熱心さで信仰する母は、他の信者がどうであっても、私が教えから外れることを許さない。
友達の目が気になる年頃の私にとっては苦痛でしかなかった。
母は父(この時点では信者ではなかった)や私が自分の思い通りにならないと、「毎日会場に通っているのに‼︎(誰も通えとは頼んでいない)」
「私がこんなに頑張っているのに‼︎(自分が取り組みやすい教えにだけ熱心。辛いなら辞めればいい)」
「自分の子どもがこんな状態だなんて情けない‼︎(私は母の所有物ではない)」と涙も流さずに大袈裟に泣い(ているフリをし)た。
芝居がかった泣き姿には慣れっこで、「またやってるわ」としか思えなかったし、「私の為に頑張っているつもりかもしれないけれど、それは方向違いだからやめてほしい」と思っていた。
本人が望んでもいないことを「あなたの為を思って」と言われたところで、感謝どころか母のことを嫌いになるばかり。
2才年下の弟が同じ高校に入学してきた。
母のご自慢の弟。
幼いときには妹も私も辞退した母の「酵素断食」にただひとり付き合った弟‼︎
リウマチ熱を患ったときには一度も病院に行かず、40日間毎日母とタクシーで会場に通い続けた弟‼︎
どうして弟は、選択授業も部活も散髪も好きにして良かったのだろう?
少しくらい帰宅が遅くなろうが、休日に友だちと遊びに行こうが、許されたのだろう?
試験前に「勉強より家のお手伝いをしなさい。その方が良いと会場で教わっているから」と母から強制されることなく、試験勉強をしたり漫画を読んだりしていたんだろう?
弟だって母の子どもだし、信者の筈なのに。
部活の合宿には、「行ってしまえばこちらのもの」とばかりに突貫参加。
体育祭前の休日には、ダンスや応援合戦の練習をしに集合場所の公園に早朝集合。
文化祭前には夜、先生に追い出されるまで学校にこもって準備に熱中。
終われば学校での後夜祭や打ち上げ(後に校長になった担任が、こっそりと資金を出してくれた‼︎)に嬉々として参加。
母と離れていられる時間こそが「青春」と、「学校」を言い訳に家を飛び出す私。
でも悲しいかな、どうしても羽目は外せなかった。
「結果こそが全て」
「遊んでいては遊んだだけの結果しか得られない」
「いくら楽しい想いをしても、結果が悪ければ意味がない」
教えを都合の良いように曲解しては、私を自分の思い通りに動かしたい母。
「結果は結果でしかない」とプロセスも味わおうとする私。
平行線はどこまで行っても交わるどころか、近づくことすらなかった。
会場の全てが私にとって無駄だったかというと、そうではなかった。
会場に来ている同世代や少し上の世代の方々と交流が生まれた。
私の家庭より遥かにハイクラスだったり親子の仲が良かったり親御様のご理解があったりする人達。
居住地や学校や生活のレベルや成績の上下や進路とは関係のない繋がり。
○○県や□□県や●●府などの高校生や大学生や若い社会人達。
SNSのない時代に地域や年齢を超えてリアルに繋がることは、とても刺激的で楽しかった。
母が信仰する宗教という意味では、会場は大嫌いな場所。
でも家に居場所がない私にとっては、学校以外の居場所•繋がりができた。
学校の友人達には決して話さなかったけれど、親しい大学生や社会人がいるというのは、同級生に対してちょっとした優越感を抱くことができた。
私にとって家が居心地の良い場所になることはなかったし、母も会場も嫌いなことに変わりはなかった。
それでも母は私に「会場のお陰で何とか道を踏み外さずに済んだ」とつい最近まで言っていた。
違うと言っているでしょう?
私は凄く努力したつもりなんだけど?
赤の他人の言うことは聞けても、実娘の言葉には耳を貸さない。
次は、私に学歴がない話でも書こうかな?
いつになるかな?
気が向いたらそのうちに…… (9/2)
#エッセイ #ブログ #コラム #散文 #雑文 #身辺雑記 #うつ病 #無職 #失業中 #あなたの為を思って #新興宗教 #教義 #何周か回って今はストレートのショートヘア 768日目
いいなと思ったら応援しよう!
