竹生島へ 9
前回の記事のつづきです。
豪華絢爛な牡丹唐草に酔った後に目についたのは、金色の飾り金具。
原色満載感の彫刻に見慣れてしまうと、輝く黄金色が地味に見えてきますが、もう言葉は不要。なんの植物か、読み解くのは後日の楽しみにとっておき、今回はひたすら美しさを堪能、です。
そして、兎!
さて、唐門近くで、相方さんの目が、看板に釘付けになりました。
唐門は、京都の豊国廟から移築されてきたものですが、その前にも移築を経験していたことが、最近の調査・研究で判明。しかもそれが遠いオーストリアと関係していることが解説されていました。
こういう看板を丹念に読んで解説してくれるのは、いつもの相方さんの役目。お願いしているわけではないのですが、いつのまにかそんな役割分担となっています。だから知識と読解力に差がついてしまうわけです。ありがたい私の外付ハードディスクです。
相方さんの解説を、少し肉付けしまとめ直しました。長くてすみません。もしご関心があれば、お読みください。
ユネスコの世界遺産として指定されているオーストリアのエッゲンベルク城。この城内に、17世紀後半にオランダ商人から購入されたらしい屏風絵が残っています。
長らく注目されてこなかった屏風絵は、21世紀に入ってから修復され、日本の屏風らしいことが判明。調査の結果、豊臣期の大坂城とその城下を描いたものであるとわかりました。この屏風に描きこまれている極楽橋が宝厳寺の唐門と酷似しているのだそうです。
酷似していることに加え、これだけ立派な門を建築することができたのは、権力者の秀吉だけだったのではないか。
また、豊臣家を滅ぼした家康にとっては、秀吉の栄華の象徴である極楽橋がが目障りで、秀吉ゆかりの地にある竹生島へ移築したのではないか。
そういった傍証により、宝厳寺の唐門は、大阪城にあった極楽橋の入り口部分だとされているそうです。
最初に、屏風絵の調査を手がけた研究者は、屏風絵の写真を携えて日本にやってきたそうです。
エッゲンベルク城博物館の学芸員が、ドイツのケルン大学の研究者に調査を依頼し、関西大学に招かれて大阪へ。
私が長浜にやってきたのも麦畑の写真がきっかけでした。
写真を携えながら、旅をする。
またこういう素敵なことが、起きるといいな。
続きます。
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