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目に見えない変化、心のタイミング。

昨日はおセンチな noteを書いてしまったが、
今日は嬉しいことがあった。

なんと、いきなりJ からこんなお誘いが。
「この夏、一緒にフランスにある日本のお寺のリトリートに行かないか?
そして、イタリアなどもまわろう!」

もともと4月頭にJ は一人でそのリトリートに行くつもりだったが、フランスもゲルギーもロックダウンによる行動規制で行けなかった。
その際、「私も行きたい!」と言ったら、
「遊びじゃなくて、修行だから一人で行く」とあっさり断られた。

J にどんな心境の変化があったのだろう?

そのお寺には弓道の道場もあるらしく、弓道の師匠を目指しているJ にとって、メディテーションと弓道が両方できる場は魅力的。
そのお寺では私もビギナーとして弓道を体験できるらしい。
michanが興味あったら、と誘ってくれた。
J が大切にしている、彼の世界へ招待された気がして嬉しかった。

数日前、私は学校の課題である自作自演の映像作品をJ に見てもらった。
たかが学校の課題作品であっても、パーソナルで大切なもの。
J に一番最初に見てもらいたかった。
それは、私の心の一部を見てもらう感覚だった。

心を相手に開示するというのは、裸になることより
パーソナルで素敵なことだと感じる。

本人以外、100%理解することはできないし、100%理解されることも求めていないが、自分のサンクチュアリー、自分の中の宇宙を共有したいと思ってくれること自体がロマンチックだなと思った。

もともとJ は自分のサンクチュアリーを厳守する人。
初めはシャットアウトされている感じで、相手の世界を共有したい私としては淋しかったけど、彼の世界、距離感をリスペクトしていた。
そんなJ が今日いきなり心の扉を開いてくれて嬉しかった。
何かあったというより、時が熟したのかもしれない。

私の大切な世界をJ に共有したことによって、J の大切な世界に私を誘ってくれたのかな。
私の思い過ごしかもしれないが、その反応を頼もしく感じた。

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J からの電話の前、Speaking of Jung というポッドキャストのエピソード#27 James Hollis というユング派分析家の対談を聴いていて、ひどく反省した。
最近考えていた自立と責任に通じる。
J からの説教や喧嘩。
彼が言いたかったコアはこのことだったのでは?とハッとした。

日本語に訳そうと思ったけど、そのままの方が素晴らしい。
それに対談を文字に起こすだけで疲れてしまった…

私の備忘録としての記録したので、興味がある方は読んでください↓

"If I approach life and relationships with more realistic expectations, 
and if I first of all examine myself and said, 'I am responsible for my own well-being. I am here to make life work, not somebody else's.'
Then I can approach others less encumbered and less expectant. 

If you can't tolerate yourself with your short comings and failures that we all have, in the end it's not going to be very healthy relationships with others.

I have to deal with myself first, with my own narcissistic impulses, with my own avoidance impulses, my own co-dependent impulses, where my own power complex or controling complex comes up, where my neediness imposes itself.
Those are in all of us to some degree and they are human. You don't have to fall yourself for that, welcome to human nature, but you are accountable for them. And better job I can do that, the more I free my children, the more I free my partner, the more I free my colleagues at work from having to carry the burden of my unfinished business. 

If we don't withdraw [from putting projections on other people] reality withdraw them for us...
Often people end relationships with a sense of let down and bitterness, 
'you failed me'
'you were not what I expected from you'
Well guess what? You never were!
What I resume imposing on you was that archaic agenda, my own projections, my own transferential histories - that's what I have done to you unwittingly. So if I recognize that and have some accountability for that, then I am going to be less setting you up for conflict and manipulation, and less setting me up for the inevitable disappointment that occurs when projection [happens] .  

What can emerge from a dissolution of a projection is something eminently worth loving. You see the other person as a flawed human being, like you. And you feel that affection for them. They are eminently worthy of your love and investment. "


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michan
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