☆手引☆
高校生の頃、
「何でそんなに自信があるの?」と友人から言われ、
自信なんてないけどって思ってた。
自信があるとかないとか考えた事すらなかった。
成人し、
自信を失くすような体験を覚えた時、
子供の頃からずっと自信があったという事に気づいた。
どのシーンを思い出してもクールビューティ。
中学の頃同級生女子から「カッコイイ」と言われた意味が理解できた。
大人に成ってから出逢った友人に、
「色んな経験してきたんやろな。
裏も表も相当な苦労してきたはずや。
そうじゃなきゃそんな事言われへん。」
とか言われ、
全く苦労とかしてないんだけどって思ってた。
殆ど何もしてないけどって思ってた。
さっき椅子で寝落ちしてパッと目覚めると、
「経験を語っている」とメッセージがきた。
そこにあった二つの映像は、
「受け入れられない不安」と、
「受け入れて貰う安心」というもので、
人間の言動の要素にはこの二つが含まれていると見て取れた。
評価を気にせず振る舞ってる時、
このような要素があるという事に意識が向かない。
賛辞を受けても特に心は動かない。
褒められた意味が解らない。
おそらく逆も然り。
「憎まれっ子世にはばかる」と表現される類だ。
ふと目の前のPCに目をやると、
偶然というか必然に『西野亮廣さんのエンタメ研究ラジオ』というチャンネルが気に留まった。
聴いてみた。
彼は「一億人を納得させられるロジックを持っている」と言っていた。
「自分をミリ単位で説明できる事の重要性」を語られている。
私は幼少期より何でも知っている感覚があった。
しかしそれを説明する事はできないししようとも思わなかった。
建前を語る大人達に対し本音を受け取ってしまう私は返答に困惑し「大人しいお子さん」が仕上がっていた。
思春期頃から暫くはそのような感覚を封印する事に尽力していた。
隠し切る事はできないまでもずっと俗に言う「普通」を目指し、
「如何に一般人に紛れ込めるか」というゲームをしていたように振り返るとそう思える。
ここ数年寝ている間の体験の質が速いテンポで変化している。
近頃の殆どは、
「元々知っている事を説明して語れ」と言わんばかり。
知っている事の成分を分解して見せられてるような体験が多い。
西野さんがおっしゃる「ミリ単位の説明」ができる事で何かの役に立つという事かもしれない。
西野さんは「上手くいった仕事は毎年一つ辞める事にしている」ともおっしゃっていた。
「データが出たものを続ける事は本質的には後退である」と。
私は何度も何度も転生した感覚がある為、
なにかと「今更」という感覚が出てしまう。
どんな分野で活躍されてる方も素晴らしいと心から思う。
しかし私自身が何かに挑戦しようと思う事は殆どない。
西野さんのおっしゃる「本質的な後退」を知ってるとも言える。
データが出たものは手放し、
成し遂げる仕事が残されている。
これをミリ単位で説明できるように成ったら発表したい。
私自身がその日を最も楽しみにしている☆
人はそれぞれの段階がある。
今自分がすべき事は自分自身に聴けば教えてくれるだろう。
他者がしてる事が滑稽に見える事があっても、
それはその人のその段階なのだ。
大人が幼児を笑う必要はない。
互いを尊重し自分の充足に意識を向ける事を優先したらいい。