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思想

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記事一覧

鬼滅の刃で理解するニーチェ、ハイデガー、ルーマン

ニーチェ 近代の都市住民ってみんなどんどん鬼になっていくから辛いわ。。。 ハイデガー そん…

下田陵介
2年前

不快な状況こそチャンス

はっきりと被害を受けているなら別だけれど、自分の想定していた通りにならなかったりとか、う…

下田陵介
2年前

僕と一緒に幸せになりませんか?

政治は無意味です。芸術をやるしかありません。

下田陵介
2年前

哲学はなんの役に立つか

と聞かれると、役に立ちすぎて答えに困る。 最近売れている本がある。エーリヒ・フロムの『愛…

下田陵介
2年前
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雑記α

率直に言って、ぼくは革命的でありたいと思っている。しかし、革命というのは原理的に特殊個人…

下田陵介
2年前

性について真正面から描く

これは必ずしも性的な映像表現であることを意味しない。テーマとモチーフは一般には異なる。テ…

下田陵介
2年前

脚本から映画を考える弊害

映画は観たい映像と聴きたい音声が本質であって、物語の構造やセリフの意味などは副次的なもの。文学的側面を過剰に貶める必要はないが、もっと断片的な欲望の非意味なコンポジションで構わない。言語に注目するとどうしても論理的つながりを意識する。それは本質ではない。 もし、文学的要素が最重要なら小説を読めば良い。しかし、映画をつくろうとする者は小説を楽しめない者である。文学は断片を時間的に統率して意味を明らかにしようとする。小説に魅力を感じないなら、それは非意味への志向と理解せよ。 非意

正論を言わなくても良い

何が正しいのか、ということを人々は常に求めているようだ。テレビのニュースやワイドショーを…

下田陵介
2年前

負担免除、ということを考えると、物語というのは段々社会で受け入れられなくなっていくのかもしれない。物語を摂取するのはものすごい精神的負担だから。SNSやゲームは実際にその傾向を示しているようにも感じる。一方で極端にグロい物語が増える傾向もある。とはいえ二つの傾向は補完的だと思う。

下田陵介
2年前

僕には人が突然変貌してしまうことに対するトラウマがある

(執筆途中です) 鬼滅の刃で改めて気づいた変貌への恐怖。突然鬼舞辻によって鬼に変えられ、…

下田陵介
2年前
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人生に波があるなんて嘘だ。毎日最善の選択を繰り返しているんだから今が最高に決まっている。嘘だと思うなら、楽しかったと思ってる頃に撮られた動画を見てみると良い。写真ではノスタルジーがそそられるのでダメ。動画。案外、楽しそうではない。今が自分の最高到達点だと実感できるはずだ。

下田陵介
2年前

ブロックチェーンは世界を変えない

昔、『お金2.0』という本が流行った。ビットコインが急騰して仮想通貨に注目が集まった頃だっ…

下田陵介
2年前
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自分の意志と体が分離している

今日は会社を作るための融資について相談をしに行ってきました。いくつか知らなかった情報を得…

下田陵介
2年前

メディアのアウラ

ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』という本がある。読んだことはないが、そこではアウラ(オーラ)論が展開されており、画家が描いた絵画や演奏家による音楽会に比べて、複製可能な写真やレコードは「ホンモノ性」から離れてしまい、アウラが乏しいとされる。 アウラ論はしばしば現代のエンタメを批評する際に持ち出され、ベンヤミンの時代にはなかったテレビやゲームを批判するために使われたりする。 アウラ論は戦間期に出されたものなので、戦後のテレビの隆盛や80年代からのゲームの発達、そし