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読書記録23 『勉強の哲学』
千葉雅也
『勉強の哲学 来るべきバカのために』
(文藝春秋社 2017年)
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自身の子どもの頃を振り返ってみると、
人と一緒に同じことをしましょう。
〇〇は良いことなので続けましょう。
といったものには違和感を覚えていた。
しかしながら、大人たちに反発する=反社会的とされる行動、ヤンキー、不良的な行動には一切結びつかず。一般的にすくすくと育った。…ような気がする。
誰もが通る道も通った。中二病といわれるように、その頃は人と同じようなことはしたくなくてよりコアなサブカル(アニメ、漫画、音楽、バンド、ギター等々)をこよなく愛していた。クラスの男子が全員発売日に、ドリームシアターの新譜を持っている。ハイスタは聞かない…。エヴァの好きなキャラは伊吹マヤだし。
保守的に環境にいることを是とせずに、自由に!!などと聞こえはよいが、千葉さんが言うようにノリが悪く、キモい学生だったなと反芻する。
そんな私の生育歴が幸か不幸か、『勉強の哲学』に書いてあることはすでに実践済みであり実践の最中だった。知りたいことだらけで分からないことだらけそれでも、まあいいかと思いながらだらだらと読書やらアウトライナーを今も続けている。
自己啓発、意識高い系、スピリチュアル、柔軟な姿勢を持ち合わせていない人の話等々は苦手で、この違和感たるやと永年考えてはいたものの…。この本の中にあった『決断主義』の説明を読んで腑に落ちた。
『決断主義とは、絶対的な無根拠を絶対的な根拠とする。いわば、何かを信じ込んだ状態』だという。なるほど。
保守的な環境の中でノッている保守層はバカなのかもしれないが、それから抜けようとする自分自身も高尚でもなく小賢しいウザいバカだ。間違っても下に思わないというか思えない。(ここは中二病を脱したといえると思う。個人的見解ではある。)
選択を比較し続けて、ベターを選び。決断ではなく中断くらいで良くて。動けるようになったら動くくらいの心持ちで暮らせばよいのだ。
千葉さんの文章を読了した感想。
幼馴染と飲み会をして解散したあとの『まあいろいろあるけど明日からも頑張るか』といった感覚に似ている。(千葉さんと享楽的こだわりや同世代だから体験したものなんかが似ているんだろうな。もしかすると千葉さんは少し上の地元の先輩なのかも知れない。)
さて、明日からもふわっといきましょう。