追記1 われ先に船に乗り込む人々 明治日本と西洋文明の出会い #2 岩倉使節団出航
本稿は下の記事の追記として書いています。
使節団の一員で司法省から派遣された理事官、司法大輔佐々木高行は、日記『保古飛呂比』(ほごひろい)のなかで、アメリカ号乗船時の混雑について、次のように記している。
その光景不規則なること言語に絶えたり(中略)理事官も諸生も従者も、我先にと争うて乗船、その混雑実に可笑、また可憂なり、外国人などの見るところにては、いかにも可恥こと、我輩もいささか不平なき能わず
(『実記』: 34)
だれもかれもが我先にと争って乗船するする姿に、佐々木は閉口している。これが一国の代表の使節団なのだろうか、とうなだれる佐々木の姿が想像できる。もともと佐々木は小うるさい人物であったらしいが、この醜態は使節団の中でも問題になったらしく、サンフランシスコ上陸に当たっては順序正しく行動することが言い渡された。
十年前ほど。イオンの酒・たばこ売り場でバイトしていたころ、中国人の爆買いが問題となっていた。イオンに来るなり、日本の酒・たばこに殺到する彼らを見て、パートのおばちゃんたちは眉をひそめていたものだ。
日本人は礼儀正しい。東日本大震災のときも、一列になって並ぶ姿が世界から注目を浴びた。それは理性で心の情動を抑えることがよしとされる文化であるからだろう。
しかし、文化は歴史的なものであり、常に変化する。明治初めの日本人は、情動に正直だったのだろう。珍しいものや体験に好奇心丸出しで突き進む姿を恥ずかしいとは感じない。恥ずかしいという言葉はあっても、その恥ずかしさに該当する行為ではなかったのだ。
使節団としては前途多難を思わせる出発となっただろうが、今からみればほほえましい姿だ。
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