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ドラマ「僕らの食卓」|食卓を囲むということ

20歳の時付き合った人は12時待ち合わせのデートの時、「さっき食べてきたから食べたかったらなんか食べていいよ。僕はお茶だけでいいから」と言った。ちょっとショックを受けた私に彼は「おいしいものは一人で食べてもおいしい」と追い打ちをかけた。
それは何度も続き、わたしは「一人で食べてもおいしいとは思うが一緒に食べたらもっとおいしい」と訴えたが、分かってもらえなかった。その後20年ほど一緒にいたが、やっぱり一緒にご飯を食べることはあまりなかった。

Amazonプライムで「僕らの食卓」を見た。

会社員の豊は、家族と疎遠で人と食事をするのが苦手。ある日、公園で年の離れた兄弟・穣と種に出会い、なぜか「おにぎりの作り方」を教えることに。それ以来、一緒に食卓を囲み食事をすることが増えた豊たち。やがて、家族のような存在となり、そして豊と穣の距離も次第に縮まっていく……。

©三田織/幻冬舎コミックス ©️「僕らの食卓」製作委員会

とにかく優しいドラマだった。主人公の一人、豊は家族関係に傷をもっていて誰かと食事をすることが苦手だ。だから、会社の仲間とも疎遠になりがちである。穣と種に出会い、一緒に食事をし、会話をしていくことで自分の居場所を見つけていく。表情がどんどん明るくなっていくのが見ていてうれしくなる。そしてとにかく種がかわいい。優しく無邪気だ。それを見守り面倒を見ている穣も優しい。たまにする切なそうな表情がいい。
兄弟の父親がまたいいのだ。飄々としていながらもすべてを包み込んでいく。三人を見守る視線の温かさはぐっとくる。
孤独だった豊は彼らに出会いともに食事をし、心が通い合い居場所ができる。穣も豊といることで傷ついた心が癒されていく。

はじめて穣と種と食事をした豊が寝る前に幸せそうに一日を振り返る。

僕の身体はだいたいスーパーの総菜と野菜サラダとおにぎりでできている。
同じようなものを食べて同じような毎日を送っている。
そんな僕の毎日に何か新しいものが入り込んできた。
温かくて丸くてキラキラした何か。

僕らの食卓 第一話

もちろん一人が好きな人もいるし、豊のようにいろいろなものを抱え込んでいて一人を選ぶ人もいる。でも、誰かと笑って話して、一緒に食べること、それはかけがえのない時間だと私は信じている。

食べることは生きること。
外には食べ物があふれているし、だれが作ったかわからないものもたくさんある。お腹を満たすだけならどうにでもなる。
昔同僚が、死なないために食べていると言っていた。毎朝コンビニでおにぎりと弁当を買い、仕事帰りもコンビニに寄ってお弁当を買っていた。お腹が膨れればよかったのだそうだ。いつも無表情で箸を運んでいた。
もちろん食べることがままならない人もいるし、食の問題は限りなくあるが、それはまた別の話。

生きることは食べること。
でも、食べるだけではこころは満たされない。わたしは30年摂食障害だった。頭で食べていたためこころはいつも空っぽだった。一人で隠れて食べる食事はただただ体に詰め込んでいるだけだった。
だからだろうか、子供たちの小さい頃はお金がなかったけど自分の意地もあっていろんなものを手作りした。買ったほうが絶対おいしいのがわかっていてもスポンジを焼きデコレーションした。運動会のお弁当も4時に起きて頑張って作った。誕生日やクリスマスも子供たちのリクエストに応えた。
家族の食卓が私の幸せだった。
そして、子供たちにみんなで食卓を囲む幸せの記憶を持っていてほしいと思っていた。もしかしたら独りよがりだったかもしれないがそう心から願っていた。

そろそろ、三男の一人暮らしが始まる。
一人で食べる食事も多くなるだろう。長男は家をでてもう3年目だ。リモートワークなので基本いつも一人だ。
たまにご飯を食べに帰って来てほしいなと思うし、私でなくてもいいから大切な誰かと食卓を囲んでほしい。

そうそう、このドラマはBLなのだそうだ。お互いを大事に想う、彼らの恋愛に敢えてBLという括りをする必要はないと思うのだが。

原作はこちら。




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