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映画「ホールドオーバーズ」|若くても若くなくても生き方を変える時間はある
私には年子の弟がいる。まだ小さい弟のお守をさせられ団地内の小さな公園で遊ぶことが多かった。やんちゃな弟にくらべ、しっかり者のお姉ちゃんだったようだ。なぜか、祖父からはまじめでつまらないと疎まれていたのだが、代わりに祖母がかわいがってくれた。祖父とは反対にまじめでいいこだねと褒められていた。両親もほめて育てる信条だったようで常にほめられていた。まじめでいること、いい子でいることは、小さいうちに私の必須条件として摺り込まれたのかもしれない。
少し成長した中学時代でも、部活の顧問にもまじめでつまらないと言われ続けたので、多分相当固くて面白味がなかったのだろうと思う。
また、白黒つけやすく融通も利かなかったので友達も少なかった。ひねくれた子供だったと思う。
といっても、成長するにつれいろいろ変わってくるのだが、根っこには「ちゃんと」とか「普通は」とか「ルールを破ってはいけない」があるのでいまだに人の目は気になる。
先日お気に入りの雑貨屋のブログで映画「ホールドオーバーズ」を紹介していた。説明だけでも響くものがあり、Amazonプライムにもあったので見てみた。
舞台は1970年、ボストン近郊にある名門バートン校。誰もが家族の待つ家に帰り、クリスマスと新年を過ごす。しかし、留まらざるを得ない者もいた。孤独な彼らにはそれぞれに他者に心を開かない理由がある。生真面目で融通が利かず、生徒からも教師仲間からも嫌われている考古学の教師ハナムと勉強はできるが家族関係が複雑なアンガス、一人息子のカーティスをベトナムで亡くしたばかりの寮の料理長メアリーである。雪に閉ざされた学校で、反発し合いながらも、彼らの関係は少しずつ変化してゆく
。
いろいろな事情で学校に残った彼らは、それぞれ孤独を選んできた。反発し、ぶつかり合いながらも、相手を想い少しづつ絆を深めていく。
初めは「嫌な奴」として描かれていた彼らが、打ち解けていくにつれ、目に光が射し始め、表情も柔らかくやさしくなっていく。生真面目で融通がきかなく嫌われ者だったハナムも少しづつ歩み寄れるようになり、コミュニケーションがうまく取れずどこか世の中を醒めた目でみているアンガスも心を開くようになる。
きれいな顔立ちだが常に気難しそうな表情をしていたアンガスの楽しそうな笑顔にキュンとし、終盤のレコードショップでの咥えたばこのハナムがイケオジになっていてどきっとした。
人が孤独を選ぶのにはもちろん持って生まれた性格もあるが、理由がある。
詳しいことは割愛するが、息子は敢えて孤独を選ぶらしい。自分は今まで人とうまく付き合えなかったから、人と一緒にいて感じるしんどさより、孤独を耐える方がマシだという。そして、私と彼は違うから、そこはほおっておいてほしいのだそうだ。見守るしかない。
映画の最後、こんなセリフがある。
生き方を変える時間はある。君の過去が 人生の方向を決めたりしない
多少ひねくれていた私も、その後の人との出会いで少しは変わったと思っている。願わくば、彼にも人との絆を感じる出会いがあってほしいと心から願っている。
そして、私にも変わる時間はある。変わるのに年は関係ない。