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【映画のような人生】戦火と共に生まれ、戦場で戦い続けたBiH人!?ダミル・ジュルームのヒストリー#41

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
 「ダミル」の愛称で呼ばれている、ボスニア・ヘルツェゴビナ人のダミル・ジュルーム選手についてご紹介です。この記事では、「日本は小さい国だし世界は無理でしょー!?」という仮説に対して、「小さい国からでも世界で活躍できるの?」という疑問に対して皆さんと検証します。
 ダミルが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2021.08.17現在、2022.08.20 ランキング・年表等更新)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

ダミル・ジュルーム
ベースラインでしっかりと自分のゲームを作り、相手を左右に揺さぶり前で決めるプレーが特徴。バックハンドのスライスとボレーのインパクトの技術が素晴らしい選手。サッカーが好き。

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BiH

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 ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下BiH)は面積・人口ともに世界的にみても小さな国ではなりますが、サッカーとバスケットボールが盛んです。サッカーはASローマで一緒に活躍したE.ジェコとM.ピャニッチ、元アーセナルのS.コラシナス、バスケットボールでは、NBAオールルーキーチームにも選出されたブレイザーズのJ.ヌルキッチら世界最高峰の舞台でもパフォーマンスを発揮している選手がいます。
 BiH人の特徴は、少し思慮深く、勤勉で謙虚、正直者で気取らない正確です。

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「戦争と共に生まれ、5歳でテニスを始める!」

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ジュニア期のダミル

 1992年5月20日BiH戦争の最中に最前線近くの病院で戦火の中で生まれました。3歳でテニスをはじめ、5歳から父によるコーチングが始まりました。当時はテニスはマイナー競技で競技人口も少なくテニスコートもBiHにはほとんどありませんでした。そこで、ダミルの父はダミルが生まれた病院のすぐそばにある広場で戦時中には遺体安置所として利用された場所にテニスコートを作り練習を開始しました。
 7歳から大会に出場し、10歳でクロアチアやセルビアの選手と競い、12歳でイタリアのヨーロッパ選手権で優勝しました。ジュニアの世界ランキング最高位は3位(102勝30敗/勝率77%)です。
 他の選手と少し違うところは、ダミルはサラエボ大学で政治学を学びながらシニアの大会と並行していることです。また幼少の頃には2本の映画(1本は主演)にも出演しており、2ndキャリアは俳優にチャレンジしたいと語っています。


「シニアの大会と、BiH選手として初のGS出場!」
 

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BiH代表として活動するダミル


 シニアの大会デビューは、2009年BiHのフューチャーズで16.11歳でした。ジュニアと並行しながら、BiHや隣国のシニアの大会にも出場し、18.11歳BiHCでフューチャーズ初優勝を達成しました。2014年21.7歳のGS・AでGSとツアーデビューを同時に達成しますが、その間には、76大会(本線)をバルカン半島中心に戦い、フューチャーズでは出場した大会の32.6%で決勝戦に進出し、26.5%の確率で優勝をしました。
 2014年のGS・Aでは、GS初出場ながらI.ドデック[34]を下し、3回戦でT.ベルディヒ[7]に敗退しましたが、GS本線でプレーした初のBiHの選手になりました。
 GS・Aの3ヶ月後、2014年4月メルスィンCで21.10歳チャレンジャー初優勝を達成、6月アラドC、7月サンベネデトCで優勝しました。(この年3大会決勝進出3優勝)

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「2017年キャリアハイ23位へ!」

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2017年サンクトペテルブルグ250で優勝

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 キャリアハイの23位を達成したのは2018年7月2日で26.1歳の頃でした。この1年間の大会成績は、2017年9月にツアー初優勝を達成したサンクトペテルブルグ250を含む3大会での優勝、GSはGS・Wを覗く3大会で3回戦に進出しています。その一方で1000や500では勝ち進むことができませんでした。
 キャリアハイを達成する一方で、その後は勝ち進めないようになり2019年は腹部や肩の負傷で離脱以降ランキングを徐々に落とし続けて、現在は123位となっています。
 
 
 175cmと小柄な体格ですが、隣国との戦火を交えている最中に誕生した影響で、不都合が多くありました。満足なコートで練習もできず、国からの支援も多くない中で、父と二人三脚で鍛えたテニスにおいてBiH最高ランキングであると共に、初のオリンピアン、GS出場者です。
 2019年の怪我での離脱から現在まではピーク時よりランキングを落としていますが、まだ29歳です。キャリア初期からの持ち前の決勝戦での勝負強さを今後も見れることを期待しています。
 映画の世界のような過酷な環境をものともせず戦い抜いてきたダミルの2ndキャリアの俳優業も楽しみにしていますが(自身のドキュメンタリー映画作って欲しいです)、今後キャリアハイを追い越してTOP10に入ることも楽しみにしています。

記録
✴︎2017年ロシアのツアータイトルを1年で獲得した初の選手(サンクトペテルブルグ250とモスクワ250)
✴︎キャリア最大の勝利は2017年ドバイ500でのS.ワウリンカ[3]、シェンチェン250でのA.ズベレフ[4]
✴︎BiH史上最高ランクの選手


 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。


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PS.BiHでの父との練習やジュニア期のことを伺いたいです。

PPS.テニスを練習しながら映画に出演、大学へ挑戦した背景を伺いたいです。



〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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