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【逆転思考法】大失敗した大学受験から上場企業へ就職という大きな成功につなげた考え方

概要

この記事はこれから受験を控えている受験生やご両親、大きな失敗をしてへこんでいる方などに、私の大学受験の大失敗と、その失敗を上手く使って、現在の上場企業に就職できた逆転の思考法や、どういう経験をしてきたかということをお伝えするノウハウ記事になります。

結局のところ、人は自分で選んだ道でさえも、
「これは仕方なかったんだ」「これはどうしようもなかったんだ」「私は悪くない」「周りのせいだ」
といった言い訳を探そうとします。私もそうでした。

でも、本当にそれでいいのですか?


社会人の方も、大きな失敗をしたときにどういうことを考え、次の成功につなげるかというヒントにもなると思います。

勉強の休憩がてらや、業務後の気分転換兼ねて読んでいただけると幸いです。

大学受験の失敗の経緯

まずは私の経緯、大きな人生での失敗をお伝えしていきます。

私の大学受験のときは私学は受験しておらず、国公立しか受けれませんでした。
高校3年生のときもそこそこ勉強をしてきたつもりでしたが、どこか(自分はできる側の人間なんじゃないか)という過信があったのだと思います。

無謀な前期受験に挑戦して落ち、後期試験もあろうことか同じ大学に挑戦して失敗しました。


普通、前期で落ちる大学に後期で受かることは非常にまれです。
なぜなら前期で落ちたさらに上のレベルの人たちが、後期ではレベルを落として受験してくるからです。


当然、後期も落ちました。


そして私は浪人の道を進みました。


母子家庭でお金がないのに、母が予備校代を出してくれました。予備校代の金額も知っていますが、僕がどうしてもある国立大学に行きたいという夢を叶えるために、無いお金を出してくれたんだと思います。

浪人時代は必死に勉強しました。
母の思いを無駄にしないように。


予備校は年末年始以外は自習室が開いているのですが、指折り数える程度しか休まず(年末年始など)、暑い日も寒い日も通い続けました。

21時には閉まるので、そこから帰って22時前にご飯を食べていました。

こんな生活をしていると、たまに、自殺したほうが楽なんじゃないかと思うこともありました。でもそれをすると、母を一人残すことになるし、残された側の人間の気持ちを思うとそんなことはできませんでした。

必死で勉強したためか、それともだいたい勉強していればそういう結果が出るのかわかりませんが、その年最終の模試の結果は
センター試験(現在の共通一次):志望校C判定
二次試験:A判定
※A判定:80%以上 C判定:50%程度の合格率
まで届きました。両者を合わせると十分合格圏内です。



来るセンター試験

その模試の後も必死で勉強し続けました。私学を受けていない以上、もう一年浪人という手はありません。

私自身も正直もう限界でした。次浪人していれば限界で、自殺という手を選んでいたかもしれません。

そして来る運命のセンター試験がやってきました。
合格はセンター試験の配点+二次試験で決まります(一部の大学はセンターは足切りに使われます)。

私は理系志望なのですが、志望校はセンターの文系科目の配点が高く、どの教科も失敗は許されないという状況でした。


そして、その年は国語が難化した年でした。

浪人して国語を大幅に伸ばしていたのに、全然わかりませんでした。迫る終了時間に焦って、冷静を失い、よりわからなくなるといった悪循環の中、
いつの間にか途中から問題に涙が零れ落ちていました。


1日目の国語に続き、2日目の数学も難化、大門のはじめで解けませんでした。数学は前の問題が次の問題を解くヒントになっていることが多いので、大門のはじめで解けないというのは以降の問題を落とすことにつながります。
ここでも焦って貴重な時間を費やしました。


結果は言うまでもなく、ボロボロでした。



現実を知る19歳

センター試験の結果を自分で採点しているときは手がずっと震えていました。

自己採点で自分の大まかな点数とライバルたちの中で自分がどの位置にいるかがわかります。


センターの結果予想はD判定でした。


心はぼろぼろです。
あれだけ勉強したのにこの時間はなんだったんだろう、と。

しかし、受験生はここで立ち止まっている暇はありません。このまま志望校を目指すのか、それとも志望校をあきらめ、自分の行ける大学を選ぶのか、という選択をして、次の志望校の二次試験に向けて勉強をしないといけません。

これ以上浪人できないこと、私立も受けていないこと、

なにより自分が限界だったことから、私は、志望校をあきらめてしまいました。



他にも一人暮らしをすれば現役時代よりも行ける国立大学はありましたが、母子家庭で、お金がないことも踏まえ、自宅から2時間ほどで通える地方国立大学に変更しました。

この大学は現役時代でもA判定の大学でした。


一体この1年間と予備校代はなんだったんだろう。

母にまで迷惑かけて自分はなにをやっているんだろう。


これが自分にとって初めての大きな大きな挫折でした



大学合格・・・しかし・・

無事にその大学に入学できましたが、その地方国立大学は、上でも書いたように現役時代にもA判定を取ったことがある大学でした。

同じように受けて落ちた受験生の方々には非常に失礼極まりないですが、受験が終わってうれしい反面、やはり悔しい気持ちがありました。

この1年間という貴重な時間と、母ががんばって働いて出してくれた費用、果たして自分は本当にやりきったのか、よくわかりませんでした。


最低なことを言いますが、正直同期は頭がよくないと思っていました。

受験というシステムは同じようなレベルの人間を集めるということです。

就活も同じでしょう。
多少の差はあれど、同じようなレベルの人が集まるという仕組みです。

ごく稀にものすごく優秀な方が混じることがありますが、会社でそういう方は自分から転職してしまいます。


大学も同じレベルの人たちが集まり、もしそのレベルが、大学での勉強よりも、バイトや遊びを優先しているようなレベルだったら、自分はやっていけるのか、とても心配していました。(本当に失礼です)


先に結論を述べますが、そんな心配は必要なかったです。


確かに遊んでいる人はいました。
毎日ずっとバイトしてる人もいました。


でも関係なかったんです。

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