これは僕らの家庭内戦争だ。②
この前の記事に引き続いてプーチン的毒親を持つ我々ADHD双子の話をしよう。
僕たちは現在のウクライナと同じく今窮地に立たされている。
僕は現在大学卒業後経済的援助もなく、毒親である母から主に医師国家試験における僕の敗北宣言に対する昼夜問わずの「口撃」を受ける毎日を送っている。
そう、我々が日々過ごす家庭内でも戦争は日々起きているのだ。とりわけ、毒親を持つ僕たちのような家庭では。
考えてみれば当たり前のことだ。この度のロシアによるウクライナ侵攻のように、この二つの国は兄弟国であると明言されているにも関わらず戦争が起きているのだから、身内であろうが戦争は勃発する。本来は家庭内・個人間でのいさかいや喧嘩を国家単位まで拡大したものが戦争である、という認識の方が正しいだろう。と、まぁ至極当たり前のことを言っているのだけど少なくとも私の母はこのことをきちんと理解できていないように思える。それを実感したエピソードを紹介したいと思う。
ここのところ毎日のようにニュースやSNSではロシアによるウクライナへの軍事侵攻が取りざたされている。NHKでロシアのニュースを見る度に、僕たちの母親は「戦争なんてあってはならない。ウクライナの人たちがかわいそう。プーチンは地獄に落ちろ。」と感情を露わにしている。
戦争反対には僕も同意見だ。母と同じ意見になることなんて、僕から母乳が出るくらいの確率だったからむしろ感動を覚えたくらいだ。しかし、問題は別のところにある。僕は、考え方によっては母が僕たちにしていることはプーチンさんとなんら変わりなくないか?と思ってしまったのである。
その理由を話す前に僕の実家の経済事情を話さなければならないのでお付き合い願いたい。
僕が高校2年生の時に父に先立たれた頃から僕の実家は無収入になることは確定していたのである(正確には遺族年金などがもらえるが)。僕たちの母は専業主婦であり、ほとんど仕事という形で社会と関わらずに生きてきた希少なサンプルである。そして、今後の家計を維持するために働くわけでもなければ資格の勉強をするわけでもない。父が死んで間もなく父の残した土地を別の人に貸し出してマージンを受け取るという話も持ち掛けてもらったにもかかわらず、父の土地に他人を踏み入れさせたくない!の一点張りでその話はおじゃん|《話が台無しになるさま。振り出しにもどるさま。》となった。
ここで自分の母を冷静に分析してみると、母はほとんど社会に出たことがないため、家庭が全ての世界となってしまっている、超絶狭い社会生活を営んでいる人間であることがわかる。父の保有していた土地に他人を踏み入らせたくない、という気持ちはわからないでもない。当時、僕も複雑な気持ちがなかった訳ではない。しかし、残された家族は生きていかなければならない。ずっと父の死に立ち止まっているわけにはいかないのだ。父の死後から10年経った今でも母はまだ失意の中にいるのだろう。加えて社会に出たことの無い母は生きていく術がわからないのだ。それは父に依存してきた母にとって当たり前のことだろう。そして父がいなくなった先は子供に依存するのは自然な流れであったと今は思う。
そして母は狭い世界にだけ生きて、自分の殻に閉じこもった結果、自分の価値観だけを絶対的な基準としてしまったのだ。こうして10年の月日を経て、ゆっくりと母は完全な化け物になったのだ。
母の言い分はこうだ。僕たちに沢山お金をかけて育てたのだから、これからの人生は私のために生きろ。と。住むところも母と一緒に実家で暮らし、経済面もサポートしろ、と言う。
これはママによる独裁政治に他ならなくない?!
僕は何も経済面で母を援助することはやぶさかでない。今まで僕にお金をかけてきたことは間違いないし、恥ずかしながら浪人、留年、国家試験浪人と全て役満の僕はその点では頭が上がらない。
しかし、実家で母とこの先一生暮らしていけ、っておかしくない????
そんな都合良く実家に近い場所で就職できる保証があるわけでもない。しかし、社会で働いたことがなく、家庭が全ての社会となっている我が母はそんなことがわからないのだ。要するに、母は度の超えた世間知らずといえるだろう。そして彼女は自分の価値観に基づいて理想を並べ立てるが、その理想は全て母以外の他人が用意してやらなければいけないって、
ふっっっざけんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!
俺はお前のママじゃねぇ、お前が俺のママだ。
僕が学生の頃は何かあれば母に「私はあんたが医者にならなくても全く構わないけど、○○しないと学費払わないから」と脅されていた。その要求を無視しようものなら、怒涛の人格否定の口撃を受けるのだ。自分の意見を通すために脅迫・攻撃をするってどこかの国とそっくりじゃないだろうか。
そして僕は母につい先日ボソッと言ってしまったのだ。
「お母さん、プーチンみたいだよね。」
そこからは想像できるだろうか。深夜の念仏のような恨み言が僕たちの枕元で一晩中続いていた。
いまだ我が家、戦時中です。
では、次回。 ちゃんちょん。