【占星術】牡羊座木星期の振り返り
今日、5月16日で12年ぶりの牡羊座木星期が終了し、明日木星は牡牛座へお引越しする。
私は牡羊座生まれなので、占星術的には “新たな12年サイクルをこれから作っていくことになる「はじめの一歩」的な一年となる” と言われていた。
何もかもが無くなった1年前
魚座への逆行もあったが、牡羊座木星期が始まったのは2022年5月11日。
思い返してみると、まさにその日、私はパソコン教室の講師のお仕事に採用された「初出勤」の日だったことを思い出して震えた。
そう、人生で初めて自分が「先生」と呼ばれた日。宇宙とのシンクロを感じる。
この時はまだ、自分が占い師になるなんて思っても見なかったけど、この頃からすでに潜在意識と宇宙の采配による準備は始まっていたのかもしれない。
そもそも、私がパソコン教室の先生になったのも、その約1ヶ月前に婚約者だった元カレと婚約破棄になり、実家に戻ったのがきっかけ。
娘が生まれてからというもの、特に3年前に離婚してからは養育費ももらっていないために、兎にも角にも「仕事!お金!とりあえず稼がねば!!!」で生きてきた。
子育てしながら仕事に費やせるエネルギーを極限まで使い、お金を稼ぐことにフルコミットしてきたわけで、案の定、娘の幼稚園イベントは本当に最低限しか出られていなかった。
そんな中、迎えた娘の年中さんの新学期初日。
親子登園日だったのだが、つい2日前に婚約破棄を告げられていつでも泣ける、笑ったら泣いちゃうようなわけわかんないメンタル状態で、私は娘の前では気丈に振る舞いながら一緒に幼稚園に行った。
そして新しいクラスでの子どもたちの合唱を見ながら、いつもどこか二の次にしていた娘の成長をまじまじと感じたのであった。
この時に、私は「娘と一緒にいられる時間を大事にする働き方をしよう、今までの時間を取り返そう」と思った。
私はちょうどその時、4月1日付で生まれたてSaaS系のスタートアップの営業として働き始めたところだったがメンタル持たないのですぐ退職。
思い返せば4年間もがむしゃらに、お金のためだけに心身酷使して働き続けた。「もう、お金を追いかけ、がむしゃらに働くのは疲れた、よくやったよ私…」と。
元カレに振られて、転職したばかりの会社も辞めて、気がついたら自分に何もなくなった。白紙状態。
だからこそ、選びやすいというか、決めやすかった。
メンタル面もかなり落ちていて、大変な状態だったので5月からゆっくりペースで始められる場所がいいなと思っていたところに見つけたパソコン教室のインストラクターの文字。
今まで講師業なんてやったことはなかったけど、まあ今まで散々デスクワークしてきて、基本的なところならマイクロソフトのOfficeならわかるな、と。
それに何より、午前の教室枠の補助の募集だったので幼稚園の娘がいてもバスのお迎えまでに帰って来れる時間での募集だった。
「これは…!」とすぐさま応募してみたら、即採用されたのですぐ働けるようになった。
気づけばここが私のターニングポイントだったのかもしれない。
実家を飛び出し、近所の本屋さんに背中を押されて占いの道へ
そして、そこから2ヶ月後には娘を連れて、実家を飛び出した。七夕の日だった。
私の中でずっと両親に対して「毒」を感じていたところがあって、その両親の「毒」といつも衝突してはやられていた。
そして、紆余曲折ありつつも、今の穏やかに快適に暮らせる自宅環境を手に入れた。お盆休みにお引っ越しをした。
婚約破棄を経験したことがきっかけで、私はずっと占いにハマっていたのだがどこまで行っても私はどこか「ヲタク気質」で、気がついたら占星術の動画を漁っては、自分でホロスコープ出して天体の意味とか調べるようになっていた。
もちろんこの頃はまだ自分のことや、実家を飛び出した後にお付き合い始めた今の彼のチャートを出したりして自分で調べて知識を深めることを楽しんでいた程度だった。
そして、YouTubeの「IROHA TAROT」さんのリーディング動画が大好きで、いつもみていたら自分もリーディングやりたくなって、この頃から占いをお仕事にしたいな、と考えるようにもなっていた。
だけど、ちょうど夏あたりの安倍元総理の襲撃事件から発展したとある宗教問題によってスピリチュアルのイメージがなんとな〜くよくないことが気になっていた。
「スピリチュアルを仕事にする、占い師としてお金を稼ぐことってずるいことなんじゃないか?」ってどこかにブロックがあり、なかなか踏み出すことができなかった。
そんなある日、いつものように娘と隣駅のイオンモールに出かけて、本屋さんで占いの本を探してみようかと立ち寄るとまさかの出来事が起きていた。
つい先週まで、占い関連の書籍の合間に数点ほどしか置いてなかった数種類のタロットカードが、
その日行くと、占い関連書籍の真横に書籍の棚と同じだけの専用棚が用意されていて、今まで一つも置かれていなかったオラクルカードたちまでがたくさん陳列されていたのだ。
中には、いつも見ているIROHAさんの動画にも出てきていた可愛いタロットカードたちもたくさん置かれていた。
これには流石に驚いたし、答えが出ずに悩んでいた最中にこの景色をみて、完全に宇宙から背中を押されてるんだと感じた。
この日、私は占いの道に本格的に進んでみようと決めてタロットカードとオラクルカードを1種類ずつ購入して帰った。
これが、占い師・瀬戸口ねるの始まり。
ラストスパートの牡羊座木星が連れてきてくれた優しい世界
そして、2022年12月20日。牡羊座木星ラスト5ヶ月間の始まり。
この時、不思議なことに過去の自分の負債を精算する出来事が起きた。あまりにも驚いたので手相を見てもらった。すると「占いは向いてるし、あなたはどんどん自分の力で稼いでいけるのよ」と、教えてもらった。
この時すでに、最近流行りのチャット型占いアプリで鑑定をしていた。
最初にタロットを購入してすぐ、まず彼の仕事の状況を占い、そしてプライベート用のインスタグラムの知り合いにモニターを募ってひたすら占っていくとみんなから「才能ありすぎる」と言ってもらえた。
それをきっかけに、占い師募集に自分から応募してみたら受かって、実際に占いでお金をいただけるようになっていった。
そして年明けの頃に、当時使っていた名前から今の雅名に改名。年末の大安。最後のチャンス、だと思った。
すると、改名して年が明けたら驚くようなスピードでさまざまな占い関連のお仕事がTwitterのDMを介してやってくるようになった。
2月には、なんと対面鑑定デビューを果たした。鑑定歴3ヶ月で東京の占い館のプロフィールに自分の顔写真が載るとは全くもって想定していなかった。
1年前はというと、婚約破棄のダメージからようやく動けるようになった頃だった。なんなら占いのお店や電話占いに課金するジプシーですらあった。
そこから一年で私はプロの占い師としてお客様からお金をいただき、「先生」と呼んでいただくような人間になっていた。
自分ですら、いまだにその頃と同じ人間なのかと信じられないでいる。
牡羊座木星期の最終日に思うこと。「幸運」は不幸な顔してやってくる。
牡羊座は12星座で一番早い。何もかもが早い。先頭切って走る切込隊長。
・・・本当にその通りの1年間だった。
一年前の自分と、今の自分はまるで別人。
考え方も、仕事に対する姿勢も、母親としての姿勢も。
そして、占いを仕事にしようと決意してから今日までの半年ちょっと、本当に人にも、タイミングにも恵まれていた。
だけれど、思い返せばことの発端は、今まで男の人から振られたことすらなかった私が婚約破棄にあうという ”自分史上最大の不幸” から始まった。
13年前の木星牡羊座期、その時の12年サイクルの始まりは、東日本大震災から始まった。
そこからLINEが普及し、SNSの文化ができたことで今のように誰でも有名になることができたり、自宅にいながらもお金を稼ぐことができたり、情報発信という自分を伝えられるツールや方法を手に入れることができた。
”木星は幸運を運んでくれる” というのに、婚約破棄に大災害じゃおかしな話。
だけれど、それこそが破壊と再生であり、その破壊が起こったことで「きっかけが生まれた場所やモノ」こそが幸運のありかなのだと今なら腹落ちができる。
「本物の幸運」は幸運な顔してやってこない。肝に銘じておきたい。
目まぐるしく一年が過ぎ去っていって、スピードが早すぎるが故に渦中にいるときは今自分がどこに立ってるのかわからない時も多々あったけど(牡羊座あるある)
こうして振り返ると、実はたった一年で結構すごいところまで行けてたんやな?と少し嬉しくなった。
ここからの1年間は、安定と現実化の一年に。
また新たな一年のムードを携えて、頑張っていこう。