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そろそろ、ブロガーのあり方を問い直そうよ。

ツイッターを始めて4年、noteを始めてもうすぐ3年目になろうとする昨今、私は改めてこのSNS文化のあり方について考えてみた。

この4年を振り返ってみると、正直、SNSには疑問を感じることや、がっかりさせられることが多かった。

なので、この炎上続きのSNSカルチャーにおいて、ブロガーのあり方について、今一度、考え直してみる必要があると思う。

・国民総コメンテーター時代

今は誰もがツイッターなどを通して社会で起きている出来事に感想を言ったり、意見を述べたりして、まさに誰もが評論家になっている状態だ。言論の自由があるのは良いけれど、あなたのその意見、きちんと情報を取ったうえで述べていますか? SNSで流れてきた誰かの情報を読んだだけで、安直にリアクションしていませんか? と問いたい。

コメントというものは本来、情報を多方面から精査して把握したうえで言うものだ。しかしツイッターは手軽なうえに情報の流通が速いから、何か事が起きたとき、その事について書かれたツイートを30分も眺めていれば、その出来事に関する情報を網羅したような気分になってしまう。そして、まるで分かったような口調でコメントを打ち、まもなくSNS上は辛辣なコメントで溢れ返る。そして次の新しい話題が現れると、ツイッタラーの関心はそちらに移るが、やることは同じ。SNSはずっとこんなことの繰り返しだ。

・どうして簡単に飛びつくのか? 

SNSを始めた頃は、私も情報に飛びついていた。政治家が問題発言をしたり、学校でいじめに遭った生徒が自殺したり、自然災害の救助が自治体のせいで遅れたりと、ニュースで話題になった問題に触れたなら、すぐにツイッターに自分の意見を打ち込んでいた。そうすることが私なりの社会参加なのだと思っていたからだ。しかし今は違うと思っている。むしろそういう社会参加のしかたは、世の中に誤解と悪意を広げていくことになると思う。その事件や問題が起きた背景をよくよく知れば、違う意見を持ったかもしれないのに、迅速なSNSの情報だけで判断を下し、その拙速な判断を拡散していく。その判断がもしも誤解なら、誤解を広げるのは一瞬でできることだが、それを解くのには何年もかかる。

・書くのが早いブロガーを信用しない方がいい

私は個人的に、コラムの執筆が早いブロガーは信用ならないと思っている。世の中で何か問題が起きて、それがテレビニュースや新聞やSNSで話題にのぼり始めた時点で、長いコラムを発表するブロガーが多くいる。今日取りあげられたばかりのニュースで明日には長いコラムを仕上げることができる、その即レスの精神と、執筆の早さには尊敬を表したくもあるが、「そのコラム、拙速なジャッジを下していませんか? 昨日の今日でなにが分かるというのですか?」と私は問いたい。

新聞記者やフリー・ジャーナリストよりもブロガーの方が記事を出すのが早いのは、ブロガーがジャーナリストのように裏を取ったり、聞き込みをしたり、資料を漁ったりして情報を精査せずに、ただ現時点における自分の意見を書くだけだからだろう。

ブロガーにジャーナリスト的要素が求められているかと言えば、それはまた別の話になるとは思うが、影響力のあるブロガーが書くものは、場合によっては新聞記者よりもずっと拡散力が大きいだろう。テレビや新聞ではなく、ブロガーのコラムを読んで初めてその話題について知った、という人も多いのだから。私はフェイク・ニュースが広がる背景には、こうしたブロガーの影響も一理あると思っている。

・問題なのは方向性の定着

たとえば、政治家が何か問題発言をしたとしよう。それがニュースになると、翌日には、一番乗りのブロガーが新聞記者よりも早くそのことを記事に書き、それが広まることで、その政治家への見方に対する最初の方向性が定められる。さらに翌日には、別のブロガーが一日遅れでコメントを出し、その政治家が問題発言をしたことについて人格をディスり、さらには政治家の経歴などもディスる。その時点でその政治家のおおむねのイメージが形作られてしまう。いったん批判の方向性が定まると、その方向性を維持したままさらに新たな批判記事や辛辣コメントを産んでいく。

今の時代は、テレビ局や新聞社もSNSの投稿をチェックして世論の動向を学ぶから、いちど定まったイメージと方向性を頭の中から完全に取り払うのは難しい。政治家がなぜそのような発言をしてしまったのかについて、中立な立場を自負するジャーナリストでさえも、心を完全にニュートラルにしてまったく新しい角度から検証するのは容易いことではない。

・有名ブロガーより厄介な一般人ブロガー

この数年で私が悲しく思ったのは、有名ブロガーに蠅のように群がる一般人ブロガーの行動だった。一般人ブロガーとは、SNSのヘビーユーザーだったり、アルファ・ツイッタラーだったりと、たんにツイッター好きで自分のことをブログを書いているからブロガーだと勘違いしている無名の一般人のことだ。彼らは有名ブロガーをメンターやロール・モデルとしながら、彼らの意見に賛同するが、なかには盲目的な賛同だったり、憧れのブロガーの意見を擁護したいがために攻撃的になったりする。

有名ブロガーには人を共感させたり、はっと目を開かせたりするような独特の視点や筆力や魅力があるから有名になったわけで、SNS好きの一般人が彼らを真似たところで、彼らになれるわけではないのだ。

一般人ブロガーの中にはそこを理解していない人もいて、有名ブロガーの意見にのっかって、さもそれが自分の考えかのようにコメントを書いたりするのだが、私は今一度、「あなたが批判しているその人は、あなたのお知り合いですか?」と言いたい。

結局、SNSの世界では誰も当事者ではなく、自分とは関係のない赤の他人のことや遠い物事だから、さも評論家になったように意見して平気でいられるのかもしれない。そこに傷つく人がいるかもしれないことに考えが及ばないどころか、有名ブロガーの意見にのっかることで、自分も有名になったような錯覚さえ起こしている人も多い。

有名ブロガーたちが社会の出来事に関するコメントが早いのは、迅速を商売としている部分もある。それを一般人が追いかけることに、いったいなんの意味があるのか? もし憧れのブロガーがフェイク・ニュースをそれと気づかずに鵜呑みにしていて、それに基づいてコメントしていたとしたら、一般人ブロガーがそれに飛びつくことで、フェイク・ニュースを拡散することになる。

・即レスするSNSカルチャーは社会を良くしない

どうして私たちは物事に即レスするのか? 私はいくらSNSがスピーディーなツールだからといって、私たちの行動までSNSに合わせてスピーディーにする必要はないと思っている。じっくり考えなければ思考は生まれないし、思考を深めるにはある程度の時間が必要だ。情報のタイムラインで理解した気分になってコメントを書いても、それは後になって振り返れば浅薄な意見かもしれない。浅薄なコメントを繰り返しながら時流に乗っていくことは、私たちの思考を深めないし、批判の対象にされた多くの人を傷つけていく。さらには、時流に飛びつくことは、私たちの記憶力さえ衰退させていくのかもしれない。なぜなら、あなたは一年前に何が炎上していたか覚えていますか?

そんなわけで、もうそろそろ、ブロガーのあり方を問い直す時期にきているのではないだろうか? 国民総コメンテーター時代を前に私は思う。

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