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わたしなりの就活②

4月に「わたしなりの就活」というnoteを書いてから、半年近くが経った。
想像以上にいろんな人に読んでもらって、いろんなメッセージをもらって、自分でも新しくいろんなことを考えました。

誰かの心無い言葉に傷ついたり、誰かの苦しみに触れてわたしも苦しくなったり、いろんな感情を味わった。でも、賛否があるということは、それに傷つけられた人や思いを込めてきた人たちが多くいるということで、それだけ多くの人の困りごとなのだろう、と思うようになりました。

だから、わたしも自分を閉じてしまうのではなく、むしろ世界・他者に向かって開くことで、なにかこの問題についてここから考え始めることができたら、と思い、いまひとりでパソコンに向かっています。

はじめに

今回は、「わたしなりの就活」という、わたしがすこし前に書いた記事の続きのようなものになります。

前回は、わたしの就活に対する違和感とか、そこから考えたこと、選んだ道についてそのときわたしが感じていたことをありのままに書いていて、なんというか、流れ星みたいだった。一瞬のきらめきを見て、そこに夢を見てしまう人もいるし、そんなもの信じられないと背中を向ける人もいた、とわたしは感じています。

だから今回は、そんな自分自身から一定の距離をとって考えたこと、みんなの反応や声を見て思ったことを書きたいなと思う。

書いているわたしと、読んでいるあなた。
わたしたちがどのように地続きで、逆にどのように他人なのかを感じながら、誰かが自分なりの道を見つけるための助けになったらうれしいです。


(1)「わたしなりの就活」のその後

そもそもわたしは、2月ごろに来年から働く会社の内定を受けることを決めていて、内定自体はその2ヶ月前の12月ごろにすでに連絡をいただいているという状況でした。
だから前回のnoteは、ちょうど自分が就活を終えて一息ついた時期、かつ周りは本格的に動き始めるような時期だったので、いろんなものに板挟みにされる息苦しさを打破しようという気持ちもありつつ、これで良いのかと自分の選択を迷いつつ書きました。

それから半年以上経って、その間はほとんど会社とは接点がなく、大学の勉強やバイトや生活で頭がいっぱいな毎日を過ごしていました。
9月ごろから24卒の先輩方とお話しできる機会や、同じ25卒の同期と顔を合わせる機会などがあり、じわじわと来年から社会人になることへの実感が湧いてきた感覚があります。
10月には内定式があったり、それ以降も少しずつ入社前の課題や勉強が与えられたり、、、じわじわと会社の一員になっていく感じがしました。

その過程で、実感だけは湧くけれど社会人としての自分が全然イメージできない、スカスカの不安と焦りだけがある、という時期があったので、思い切って内定先でのインターンをはじめました。

最近は12月の卒論提出に向けて、毎日頭も机もしっちゃかめっちゃかになっていますが、インターンを通して新しいことを勉強できるのがたのしいという気持ちもあり、比較的安定した状態で大学4年生の秋を過ごしています。


(2)内定先でインターンをはじめた

まず先に、インターンをはじめたことについて書きたいと思います。

わたしの内定先は、いまわたしが学んでいることと直接的な関係はそんなになくて(哲学に関係ある会社のほうが世の中には圧倒的に少ない)、やる気はあるけど知識・能力として自分は十分ではないかもしれない、という不安が、夏頃からむくむくと大きくなっていました。

正確にいうと、「十分ではないかもしれない」ことそのものが不安というより、どの方向に向かって自分が努力すれば良いのかわからないことが不安だった。
昔から、むずかしいこととかきびしいことに挑戦するのはそんなに苦手ではないんだけど、なにもわからない・できるかもしれないしできないかもしれない、みたいな状況が苦手で、それに不安を感じやすい性格なんだろうなと思っています。

これは哲学が性に合っている理由とも関わっていると思うんだけど、わたしは到達点とか目的とか、とにかく目指すべきところが定まってさえいれば、そこに向かってあの手この手でがんばれるタイプで、それがどれだけむずかしくても、自分との距離を確認しながら生きていこうと思えるタイプです。

だからインターンで、力をつけること自体とか経験を積むこと自体を目指しているというより、自分の来年以降の目指すべき場所をすこしでも明確にしたいという目的をもって働いています。

詳しいことはいえないけど、会社での学生インターンはわたしがはじめてだったとのことで(わたしが自分から勝手に頼んだ)、いろいろと探り探りで進めています。定期的に打ち合わせをしたり自分でリモートで作業を進めたりしながら、仕事や業界について勉強させてもらっているという感じです。
あたらしいことを勉強するのは好きだから(今のところ)たのしいし、そこからあたらしいわたしが立ち上がってくるのもすごくおもしろいので、始めてよかったと思っています。


(3)あれから考えたこと

あのnoteを読んだ人から、「そうじゃない道」をみんなが選べるわけじゃないとか、「おなじように感じているが、わたしは行動できない」とか、いろんな声をもらいました。

そういうことを言われたとき、わたしはいつも「そうせざるを得なかった人に対して、選択肢があるようような言い方をするのはどうしてだろう」と思う。

まず、その人たちにはその人たちなりの苦しみがあるのだろう、と想像してみる。
でもやはり、その人たちは自分の言葉のもつ構造的な暴力について、なにも知らないのではないか、と思う。

例えば、同性愛者に対して「自分のセクシュアリティを貫けるのってすごいね」とか、子どもがなかなかできず不妊治療している人に対して「治療がんばれるのってほんとすごいね」とか、それとっても想像力に欠ける言葉だな、と思ってしまう。
それは、自分が恵まれた立場にいること(もちろんそれは本人の望んだことでも、本人の選択によるものでもない)の特権を振り回す行為じゃないだろうか、と思う。

自分を抑圧されてしんでしまいそう、わたしが消えてなくなってしまいそう、だから自分を守るためにそうするしかない、わたしがわたしの形を保つためにそうするしかない、という人たちに対して、「勇気ある行動だ」というのは、その人の苦しみを理解していないか、相手を傷つけようという意図が(本人すら気づいていないかもしれない)あるのではないか、と思ってしまう。
そもそも、他者の経験を「このようなものだ」と押し込めて、勝手に評価してコメントをつけて送り返すことは、(たとえそれがプラスな評価であっても)その行為自体が暴力なんじゃないか、と思う。

「そうじゃない道」を選ばずにいま生きていられる人は、そうしなくても社会につぶされずに自分を保っていられるというそれだけであって、それはえらいことでも情けないことでもない。わたしたちはお互いに、「すごい」とか「強い」とか言うことはきっとできなくて、ただお互いの経験に耳を傾けて世界がどうなっているのか知ろうとすることが必要なんじゃないのかな、と思う。

だから、「文句を言う人はなぜそうじゃない道を選ばないのだろう」というわたしの問いは、ただ、その人たちはそうする必要はなかったのだ、ということに今は落ち着いています。

それでも、わたしがただ一つ願うのは、そうする必要がなかった人たちが文句を言うことが、そうではいられなかった人たちを・そうするしかなかった人たちをひどく傷つけるのだということを、いつかすこしでも知ってくれたらいいな、ということです。


(4)みんなからの質問に答える

あのnoteを書いて以来、いろいろと質問をもらっているので、ここでいくつか(似たようなものをまとめて)お答えしようと思います。

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質問① 内定ブルーにならなかったですか?
自分の選択に不安になる(この内定先で大丈夫かなあとか、この仕事でいいのかなあと思う)ことはなかったけど、自分が働くことに対して不安になることはありました。

わたしの場合は、就活を辞めた途端に、働くこと・社会人になることと向き合う時間が減ったからか、自分が「働く」ということに現実味がなくなってしまって、来年から自分が社会人になる未来がふわふわとしてイメージできない感じになってしまった。その状況にすごく不安というか、ままならなさを感じていて、このまま来年を迎えるのは危険だと思ったので、秋頃から内定先でインターンをはじめました。

わたしは、そこで働く数年後の自分の姿がイメージできて、かつそれがいまの自分と地続きであると感じられたからいまの会社を受けた、という感じだったので、会社や仕事に対する具体的なイメージが湧かない状態にもやもやして内定ブルーになっていたのかなあと思います。
インターンをはじめてからは、来年以降の自分が、いまここにいる自分の延長線上にいるのだという感覚がいつもあるので、比較的安心して毎日を過ごせています。

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質問② やりたいことはたくさんあるけれど、その中から何を仕事にしたいのかわかりません/天職ってあるんでしょうか?「やりたいこと」探しに囚われすぎて、動き出すことができません

わたしの場合は、働くことにどういう意味があるんだろう、なんのために自分はあえて働くのだろう、と考えたときに、働くことによってこの目的が果たされることが大切だ!と思えるものを見つけました。

個人的にやりたいことや、小さな夢みたいなものはわたしにもいろいろあるけれど、わたしのなかでそれらはそれ自体が目的であって手段ではないし、わたしにとっての働く目的とは合致しなかったから、やりたいことから選ぼうみたいな発想はあまり出てこなかったかなあ。

天職が自分にとって最高の仕事、という意味であれば、(自分に見つけられるかは別にしろ)そういうものに出会える人は一定数いるんじゃないかなと思います。
自分自身について知り尽くしていて、どんなことがしたいのかとかなにが好きなのかとか全てわかっている!という人だけが、もしかしたらそれに1発で辿り着けるかもしれない。でもわたしはそうじゃないから、いろいろやってみながら考えようと思って、すこしずつ動き出したという感じです。

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質問③ 資格とか取りましたか?

就活のためにとったものは特にありません。履歴書には、もともと持っていたTOEICの点数を書いたくらいかな。

あとは資格ではないけど、(勝手に)プログラミングの勉強はしていました。
ずっと興味があったのと、仕事に役立つときがあるかもというアドバイスをもらったので、一石二鳥だなと思ってはじめました。それが就活において有利に働いたのかはわからないけど。

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質問④ どういう軸で就活を考えていましたか?

これについては前回のnoteですでに書いていますので、よければこちらを読んでいただければと思います。
すごくよく聞かれるけど、誰にでも話したいと思えるようなことではないので、ほんとうに知りたい人だけ見てくれたらいいなと思って有料にして書いています。

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質問⑤ 職場を決める上で何を重要視して何なら妥協できますか?

自分が無理しないでいられる環境がわたしにとってはいちばん大切かもしれない、とこの質問を見たときいちばんに思いました。

どれだけお給料が高くても、大企業でブランド力があっても、わたしは自分をよく見せたり嘘をついたりし続けてその場所にいることはしたくないし、そんなことを長く続けることはむずかしいから、
ある程度自分がありのままでいられる場所にいたいなと思っています(幸いにも、いまの内定先はそんな会社です)。

住む場所とか、残業がちょっと多いとかもわりと妥協できて、むしろ理念に共感できるかとか、会社の人たちと違和感なく関われるかとか、そういう部分は妥協できない!
仕事は仕事だから、と割り切る人もいると思うけど、わたしは「会社は自分が1日を長く過ごす場所、社員は自分がともに過ごす人たち」だと考えるタイプです。

「職場ってなに?」とか「仕事ってなに?」というテーマで哲学対話したいなあ。


おわりに

前回だけで終わってしまったら、わたしひとりの未完の物語としてあまりに閉じすぎているとずっと思っていたので、今回こういう形で続きをかけて、自分のこれまでの物語と、誰かのこれからの物語が交差して、混ざって、また分かれていくのを目の前で見れるようで、とてもうれしいです。

わたしの経験は、わたしだけの経験であり、誰かに勝手に評価されたり、勝手にわかられたり、勝手にまなざされたりするためのものではないけれど、
でも、お互いを大切にしながらここから一緒に考えていこう、というのは好きなので、そういうことをこれからもやっていきたいなと思っています。

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わたしにとって、哲学対話はそんな場を作るための試みなのかもしれない、と思う今日この頃。
12月に対面で哲学対話をやるので、よかったらこちらも見てください。

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またね。ここまで読んでくれてありがとう。

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