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9月・10月に読んだ本

やっと、ホット珈琲の美味しい季節になった。あんなに毎日アイス珈琲ばかり飲んでいたのに、気づいたらめっきり回数が減って、全然美味しいと感じなくなったので不思議。人間の身体ってすごいんだなあ。

はじめに

今回は9・10月に読んだ本の記録と、いま読みかけの本たちについて書きます。
この2ヶ月は毎週のようにどこかに出かけて、哲学対話をしたり授業を受けたり遊んだりして過ごしていました。夏休みの駆け込みで卒論の文献もたくさん読んだし、絵本や詩にも触れられてとてもたのしかった。わたしにとっての読書の秋は、この2ヶ月だったのかもしれない。

読書記録は今回で4つ目になりました。5つ目を書くころにはもう2025年になっているのかと思うと、時の流れがあまりに早くて驚いてしまう。

このシリーズは、読書感想文ではなく、ゆるっと読んだ本を提示しつつわたしの気持ちを書き留めていくものです。読書感想文より軽い気持ちで肩の力を抜いて書いているので、みなさまもぜひのんびり読んでください。

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①『アーレントとハイデガー』 エルジビェータ・エティンガー

夏の講義でヤスパースを学んだときに、アーレントとハイデガーの複雑な関係について初めて知って、すこし顔を突っ込みたくなって読んだ。

哲学者が人間くさいってなんだかおもしろい。わたしの大学の先生もそうだけど、(一部の)哲学するひとたちは日常で倫理的・哲学的というわけでは全然ないから、そのオンオフのスイッチってどこにあるんだろう、と思う。
たとえば、わたしの先生は、道徳教育を教えたりしている人なのに、ふつうに赤信号の横断歩道を渡る。俺がルールだ、とか言ってるので、めちゃくちゃだなあと思って笑える。あと関係ないけど車の運転がとても荒い。でもいい人。

やはりどんなひとでも、哲学的関心の範囲や配慮できる範囲には限界があるのかなあ(もちろん、わたし自身も含めて)。わたしたちは人間だから仕方ないことだと思う一方で、そうやっていままでの哲学の議論や法律や社会から、だれかがこぼれ落ちてきたんだろうと思うとやりきれなくて、どうにかしたいなあと思ってしまう。


②『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』 河合隼雄、村上春樹

夏に熊本の古本屋さんで買った一冊。佐渡から東京に帰ってくる船のなかで読んだ。わたしも彼らに会うためにいろんなところを旅してきたのかもしれない、と思ったりする。

実はわたしは村上春樹の本を一冊も読んだことがない。
中高時代、いつも図書の先生に本を選んでもらっていて(毎回リクエストを聞いたうえでおすすめを選んでくれる、やさしくてだいすき)わたしの好みとか読書歴を知り尽くしているといっても過言ではない存在だったのだけど、その人に「たぶんあなたは村上春樹は好みじゃないと思う」と言われたのをずっと信じていた。

出来事をどう受け止めるか・どう語るか、ということに少しずつ関心が出てきていて、いまも大学の授業でそういうことを学んだりしている。読んでいるときは気がつかなかったけど、この本もそういうところにつながっているのかなあと今更思う。卒論が書き終わったらまた読み返したい一冊です。


③『ケアの倫理』/『ケアの形而上学』 森村修

卒論の文献で読んだ本。
2冊続けて、1週間以内に読んでしまったのだけど、20年経つとこんなにも人の考えや主張は変わるのか、とすごく驚かされた。

哲学的な考えがなんらかの形で前に進む(哲学自体はむしろ後ろに下がるような営みだけど、そこは一旦置いておく)というときに、それは必ずしも「成長」として積み重なっているわけではなくて、自分の考えが崩れ去ってしまったり思わぬところに道がひらけていたりするものなんだなあと改めて感じた。

特にわたし自身の考えと照らし合わせてみたとき、変わった方向がおなじだと思っていたのに気づいたら全然ちがう場所に連れていかれてしまった、というような感覚になって、とても不思議な気持ちになった。森村さんが20年かけて旅してきたその道のりを、自分は半分も感じ取れていないんじゃないかと思う。

もっとこの人のことを知りたいと思う、初めての読書体験だった。


④『詩集 谷川俊太郎自選』 谷川俊太郎

しばらく積読してあったんだけど、内定式の前日に心がしょげてしまい、どうにかお守りをと思って引っ張り出してきた。

「なくぞ」という詩が、とてつもなく良い。「なくぞ、いますぐなくぞ、ないてうちゅうをぶっとばす」という終わりが特に良い。わたしも会社ぶっとばしちゃおう!とか思いながら会場に向かった。結局、全然そんな必要なかったんだけど。

この年になると、だんだん自分が我慢することとか大丈夫なふりをすることが当たり前になってきて、「ないちゃうぞ」なんていえないし、なにかあっても相手を(宇宙を?)「ぶっとばす」という発想にはならないから、そこになんだかすごくグッときた。もっと自分のきもちを守ること・大切にすることを忘れないようにしたいと思った。

この本も良かったけど、でもやっぱり、わたしは『隣の谷川俊太郎』がいちばん好きかな。隣にいてほしいし。


⑤『哲学対話日記』 小川泰治ほか

哲学対話の記録ではなく、哲学対話をした日の日記を集めた一冊。わたしの先輩でありお友達であり先生であるひとが教えてくれた。そのひとも著者のひとりで、読んでみたらやっぱり、やさしくてあたたかくて好きだなと思った。

哲学対話とひと口に言っても、ほんとうにファシリテーターによって全然ちがうやり方があって、場があって、雰囲気がある。そこがむずかしいところであり、わたしが哲学対話を完全には信頼できないポイントでもあるけど、でも、この日記を読んでいると「それぞれであることっておもしろいな」と思えてくる。この本に出てくるみんなのひらく場に行ってみたいし、ルールや雰囲気を知りたいし、ファシリテーションを見てみたい。

続編の1.5にはわたしも参加しているのでぜひ買って読んでくれるとうれしいです!


⑥『マザリング』 中村祐子

春頃に、同じ著者の『わたしがどこかわからない ヤングケアラーを探す旅』を読んだ。そのときからずっと読みたいと思っていたのだけど、中村さんの本を読むのには体力と時間とエネルギーが足りない日々が続いて、結局とうとう秋になってしまった。

この社会には、妊娠・出産という経験について女性が語る言葉がないという。母親と赤ちゃんの生きる場所も、時間も、それを表す言葉も、この社会には存在しない。そこには、社会から切り取られてしまった空間がある。

わたし自身は、女性として、というよりはもっと広く、「言葉をもたない存在」ということに関心がある。奴隷であれ女性であれ子どもであれ障碍者であれ、誰でもいい、とにかく、社会は隅っこに追いやられてしまうひとたちをどう受け止めることができるんだろう。わたしは自分を、彼らを、社会を、どう引き受けることができるんだろう。


おわりに

こうやって並べてみるとたくさん読んだなあという感じがしますが、わたしとしては積読がちっとも減らないのでもっと読みたい気持ちでいます。年内に一旦ゼロとかできるかな(ぜったい無理だけど)。このまま、少しでも長く読書の秋を過ごし続けたい気持ちでいます。

9・10月に読んだ本は他にも5冊くらいあるんだけど、全部書くとあまりに長くなってしまうので残りはペタペタ貼っておきます。インスタのほうでも読書記録をたまに載せているので、よければ覗きにきてください!


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