わたしのあたまのなか
自分の頭と心の整理を兼ねて、わたしの興味関心とか、最近考えていることとかを書いてみるシリーズをはじめます。
はじめに
今回は一回めなので、どのくらいうまく書けるかはまだわからないんだけど、まとまらなくても考えかけでもいったん言葉にしてみたい、というのがこのシリーズに対するわたしの気持ちです。
次のを書くまでに新しい問いが出てくればそれも書きたいし、今回の問いで進展した内容があればそれも書きたいな。レポートや研究という形にまとめなくても、日々学び読み考えていることを、時々こんな形でまとめられたらいいかなと思っています。
これを読んだあとに、あなたが知っていることや考えたこと、伝えたいことがもしあれば、わたしに教えてくれるとうれしいです。一緒に問いに立ち向かえたら心強いし、きっとそのほうが楽しいと思うから。
興味がある部分だけでもぜひ、【わたしのあたまのなか】覗いていってください。
あたまのなかその1 わたしたちは「過去」に責任を負っているのか
ゼミ論で去年1年間格闘したのがこの問いの一部で、わたしの本当に知りたい・考えたいことの全体像はこれ。ゼミ論では「わたしたちは過去の差別に責任を負うのか」という問いを設定して、責任の再定義や、差別の問題における責任の主体・対象の構造の説明を試みました。
わたしのいちばん根っこの関心は、物事にあんまり責任を感じない人がなぜ責任を感じないのか、その人と自分はなにが違うのか、自分の感情がどこまで正しいのか、ということだと思います。
高校生の頃に、学校で環境問題について長い時間をかけて学んで、自分でも課外活動に参加して色々考えたりしていたんだけど、ふと「どうして大人はこうなるまで放っておいたのかな」とか「大人は自分で蒔いた種をなんで私たちに押し付けてくるんだろう」とか思って、納得できないモヤモヤを抱えるようになりました。わたしは一貫性がないこと・主張・行動があんまり好きじゃなくて、「環境問題に本気に取り組みたいならどうして江戸時代の生活に戻らないのかな」みたいなことを一生懸命考えていました。今思うとちょっと極端だけど、でもそういう筋の通らなさが許せなくて、許せないからこそ、わからないからこそ、もっと理解したいと思っていたんだと思います。
差別の問題も、わたしにとっては環境問題と一緒で、加害者と責任を要求される人が違う、という構造が共通しているように見えています。環境問題は、環境を破壊した人とそのツケが回ってくる人が別々だし、差別の問題は(「黒人」差別について考えると)、差別的な制度や慣習を作った人(かつての「白人」)と今責任を要求される人(いま生きている「白人」)は別々だし、その構造ってめっちゃおかしいけど、でも起きちゃうからそれをどう考えたらいいのかな、という。
さらに似たような構造で、未来世代への責任について考える世代間倫理もあってそれも比較して何かヒントが得られないかなと思っています。ただ、わたしが考えたいこととちょっと違うなと思うのは、未来への責任はどう考えるかは難しいし色々な問題があるんだけど、「なんかできる」っていう側面があるなと思っていて。それに対して、過去への責任って、「なんもできない」なって思うんですよね。過去の人を責めても状況って変わらないし、返答を得ることもできなくて、でも仕方がないってすぐに受け入れることも難しい。だからこそ、それをどう考えたらいいか、考えてみたいなと思ってやってみています。
でも、未来から見たらわたしたちは過去の人になるし、過去の人から見たら未来の人になるわけで、いいことも悪いことも時間とともに流れてきて、わたしたちは誰もそれを拒むことはできなくて。時間を超えて責任を考えることが難しいのか、空間を超えて考えることが難しいのか、世代間倫理のほんとうの問題ってどこにあるのかなあとかも思ってみたりしています。
なので、これからやってみたいことは、①世代間倫理と比較して新しいモデルみたいなものができないか、②世代間倫理の問題というか難しさはどこにあるのか、③今考えている責任の構造モデルに従うと実際のところどういう「責任の取り方」を定めることができるのか、みたいなことを、ぼちぼち考えてみたいなと思っています。
あたまのなかその2 「ヤングケアラー」とは誰か
最近やってみようと思っている問いがこれ。もうちょっと明確にして、卒論のテーマにしようかなと思っているやつです。
「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもの報道が近年わりと増えていて、親の介護をする子どもとか、きょうだい児のケアをする子どもとか、そういう話を目にしたり耳にする機会が増えているような気がします。
わたし自身が「ヤングケアラー」という言葉を意識するようになったのはここ一年くらいのことで、きっかけはおばあちゃんに「あなたも今思えばヤングケアラーだったよね」と言われたこと。我が家はちょっとクレイジーな家庭で、いろいろ事情があるのでここら辺は割愛するんですが、うーん、自分って「ヤングケアラー」なの?という引っかかりが一番最初のつまずきです。
そこから、メディアで取り上げられる「ヤングケアラー」の取り上げ方とかそれに対する人々の反応とかにちょっとずつ違和感を持つようになって、いろいろ考えるようになりました。
ケアって結構プラスなニュアンスを伴って使われることが多いような気がして、でも「ヤングケアラー」って言った瞬間になぜか「かわいそう」とか「問題だ」みたいなマイナスのニュアンスが滲み出てくるのはなに?っているのが、多分わたしの違和感の根っこです。
ケアって、うーん、言い方がむずかしいけど、最近は社会のめんどうごとみたいになっている側面があると思う。介護の問題とか、障害者の問題とか、誰かをケアすることに疲れている・ケアすることが難しくなっている社会で、「ケアワーカー」という仕事への持ち上げというか、ありがとうと言いつつ押し付けているような雰囲気を個人的に感じて、これってなんか気持ち悪いなって思ったりします。
でも、ケアってもっとやさしいものというか、あったかくて素敵なものだったよなって思う自分もいて、ケアし合える関係とか、利他的な行為の美しさとか、そういうものはどこへいっちゃったんだろう、と思う自分もいる。
ケアへのマイナスなイメージが共有されつつあるけど、でもわたしたちって、そうやってケアし合って、支え合いながら、ずっとずっと生きてきたんじゃないのかな?って思って。赤の他人が家族っていう形をつくって、家族のために働いたり、家族のために家事したり、親は子どもを世話したり、子どもは親を気にかけたり、そうやってケアし合いながら家族とか社会とかを成り立たせてきたんじゃないの?っていう。
「ヤングケアラー」の問題で、「子どもの権利侵害」という指摘がとても多いんだけど、大人のケアラーは問題ないのかな?って思ったりもして。ケアすることで自分が犠牲になることって少なくないような気がしていて、ケアの仕組みは常にそれを肯定しなければ成り立たないものなのだろうかとか、ケアラーでありながらキャパシティが非常に大きいがゆえに表面上「子どもらしい生活」が問題なく送れていたら、その子は問題を抱えていないことになるのかとか。
なので、「ヤングケアラー」じゃない子どもっているのかなとか、ケアラーであることは何が問題なのかなとか、ケアってそもそもなんだったのかなとか。ケアの概念がガラガラと崩れ落ちつつある(ように見える)今だから、こういうことを考えてみたいなという思いがあります。
自分の過去を振り返って考えるのは結構しんどいけど、あのとき自分が考えていたこととか感じていたことが今なら言語化できるかもしれないし、それが新しい発見をもたらしてくれそうだな、とも思っています。
あたまのなかその3 ロボットのいる(ある)対話で何が起きるか
これまだ全然形になっていなくて、今後もっとちゃんとやっていきたいんだけど、その場にいないけどテクノロジーによって繋がっている対話とか、ロボットが物理的にそこにいる対話とか、そういう対話の場がどうなるのかに最近関心があります。
OriHime(おりひめ)について、伊藤亜紗さんが「本人がその場にいるより、一緒にいる気がする」みたいなことを言っていて、じゃあOriHimeのいる(ある)哲学対話って「場」になるのかな?と思ったのが発端です。
哲学対話って一緒にいることがすごく大切で、みんなで「場」をつくっていく意識があるけど、「その場にいるより一緒にいる気がする」ロボットがいたら、それってどうなっちゃうんだろう、っていう。わたしたちが「場」と呼んでいるそれがなんなのか、対話するってなんなのか、そういうことを実際に実験しながら考えてみたいなあとぼんやり思っています。
あとは、Muu(む〜)を対話の参加者にしたら、どういう「場」ができるんだろう、というのもすごくやってみたい。子どもとの対話だと、Muuとの会話から生まれるものがありそうだし、大人の対話だと沈黙を和らげたり非日常感をゆるやかに生み出すことができそうだし、なんだか面白いことがありそうな気がしています。
わたしは対話がすごく怖くて、だからこそ知的に/心理的に安全な場ってどんな場かとか、どうしたらそれが作れるのかとか、そういう部分にずっと関心があって、それをロボットという角度から考えてみることができたらいいなあというのが、この問いの関心です。
ただわたしがロボット方面の知識があまりに不足しているのと、先行研究・文献がほとんどない分野なので、はてどうやって進めるかというのが悩みどころで、あんまり進んでいません。にゃーん。
おわりに
以上、2024年4月末時点での【わたしのあたまのなか】でした。
また気が向いたら(というか進んだら)書きます。
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