何者にもなれないわたしは、ただ幸せになりたかった

1年前の今頃、わたしは死にたかった。

自分の人生で起こる大抵のことは、本やドラマ、映画とかで見るようなものばかりで、新鮮味がなく大体のことはつまらないと冷めきっていた。ハタチそこそこの自分に「ゆとりだから」と言う人もいた。

人生で何度かうつ病を経験していたわたしなので、うつ病に対する知識もいくらかはあった。

うつ病って大変そう。可哀想。とか自分がなるまでは知った気でいたものだ。これが実際に自分がなると想像の100倍は辛すぎるんである。

そもそも、冷静に考えると、毎日死にたいなんてどうかしてる。食べたいものもない、なにかしたいわけでもない、人になんてとてもじゃないけど会いたくない、憂鬱すぎる気持ちが続くという、こんな毎日。

街を歩くと、すべての人が輝いて見える。あの人も、あの人も。

もともと自分の気持ちを表に出すことがあまりないから「辛いんです!!!!助けて!死にたい!!!」と誰かに言うわけでもなく、タトゥーで「死にたい」と彫ってアピールすることもなく、何食わく顔をして生きていかなきゃいけないのだ。と思うと、涙が溢れた。

「死ぬなよ」

「怖いよ、死ぬとかさ」

と、唯一死にたいと思ってたことを打ち明けた人に言われたことがある。

その人が今までの人生でどれだけ辛いことがあったのかは分からないけど、「あなたのようには生きられないから、あなたの人生を応援するよ」なんて上から目線なことを思ったこともあったっけ。それと同時に、「いつかわたしも」なんてことを望んだ。

夢に生き、明るい愛に生き、前向きに生きる「女の子」として切り取られることがほとんどだった。けれど、どこかで息苦しさを感じていた。「正しく生きてる」みたいなことを言われることもあって、なんか違う、、と感じた。周囲から「すごいね」「キラキラしてるね」と言われることも多く、戸惑った。

使命感みたいな気持ちがあって、それが何か起こるたびにしんどくなるようになってきた。

みんなが思うわたしと、わたしが思う自分とのギャップに苦しめられ、「死にたい」なんてとてもじゃないけど言えない。相談なんてできない。

「死にたくもないけど生きたくもない」それが本音だったのだと思う。

世界は人を変えることなんてできないし、人が世界を変えることなんてできない。世界を変えるのは人ではなく「意思」。だから自分の思うままに動かない世界なら世界を変えたらいいと思っていた。そのために努力が必要なら死ぬほど頑張ればいいと思い、行動し、思うままの世界を自分なりに手に入れた。

その矢先、待ってましたと言わんばかりに死にたくなるような出来事が起こる。

「自分はちっぽけだ」

「自分は生きたいように生きられない」。そう打ちのめされるばかりだった。

「使命感を持って、何かを頑張る」その使命感のしんどさと、「わたしは何者でもない」という寂しさと、自分の人生に対する絶望と。

自分を失ってきた。でも出会った人がいる。

何か行動することがそんなに難しくなくて、案外やってみると大したことないと知った1年。

それと同時に本当にそれで良かったのかと、1年経ってした葛藤。

楽しいことばかりでもむしろ辛いことのほうが実は多かったかもしれないが、それ以上に大きなものに気づいた気がする。

「人を一途に想い続けられる」というスペックが自分にあるということ。

たとえ10辛いことがあって自分を失っても、得られた1に目を向けられる自分でいたいなと思う。それくらいの余裕は欲しい。

そんなことを思うが、実際1年前と同じ気持ちになったからこれを書いている。朝起きれば涙しかなでない、気を緩めれば死にたいと思う、お腹はすかない、飲み物も飲まない、気づけば夜まで寝てる。ああ1年前と同じうつ病なんじゃないかと、ものすごく怖くなった。

だけど、1年前とただひとつ違うのは、うまく生きていくために教えてもらったことがあるということ。
価値観が合う人を探すより、価値観が合わなくてもうまくすりあわせたり譲り合ったり話し合ったり適度に放置しあえる人を探したほうがいい。自分と他人はだいぶ違うので「心底分かり合う」「考え方まで一つになる」なんてことはどうでもいいのだと、早く知りたかった。

不安と恐ろしさは、やっぱり問題を抱える本人にしかわからない。どれほど人を頼れたら楽なのかと思う。

だから死にたくなった時に、行ったことのない土地に行ってみることにしている。有名な観光地じゃなくても、ただ降りたことない駅でも。切符を買って知らない街で降りて、知らない住宅街を歩きながら知らない誰かの生活を感じてみると、自分が死にたいのか今いる所から消えたいのか分からせてくれる時がある。

わたしは今、自分を殺さず生きたいように生きようと願い、また新たにその一歩を踏み出そうとしている。「変わる」から始まるわたしの「マイウェイ」を残していきたい。