『どうすればよかったか?』

久々に映画をみにいってきました!
藤野知明監督が統合失調症の自身の姉と家族をカメラに収めたセルフドキュメンタリー。キネマ旬報などにも取り上げられ、劇場は満員でした。
鑑賞した京都シネマではこの映画に対する様々な記事などを読めるようにしてあり、評論家の質(文章の書き方、映画の捉え方、病気を取り巻く社会に対する理解など)が顕著に表れる作品ともなっていて、これもまた面白かったです。

この映画の冒頭では家族を責めるとか、原因を追究するとか、そういうのが目的ではないと但し書きが写されます。そして、最初には怒鳴り声を「とりあえず録音した」。その後も監督が帰省した時の映像など、意図を持って撮っていない映像がつなぎ合わされての作品となります。
後悔はあれど最後のインタビューを除いて「記録を取る」意外の意図がない映像が大多数の作品となっているため、この映画を見た感想はきっと観客によって大きく変わってきます。

当事者家族のことは彼らにしかわからないし、外野が過去のことをとやかくいうことほどナンセンスなことはないので、この映像を見た我々がやるべきこととは、障害とは何か?障害者と呼ばれる人々に対して健常者と呼ばれる人々は何ができるか?を考えていくことになります。

わたしは、障害者とは「現代社会において生活を行っていくことに困難を抱える人」と定義しています。これは精神疾患の判断基準の一つとなっており、そこに準拠した立場です。例えば私は近視で裸眼では1m先の文字もよく見えませんが、メガネやコンタクトを装着することにより、生活に不便を感じません。そのため、障害者ではないと自分をカテゴライズしています。つまり、社会が変わることで障害を抱える方々も生活がしやすい世の中を作れるのではないか、と考えております。

とくに精神疾患に対しての風当たりはまだまだ強く、監督の家族のように認めようとしない人もたくさんいます。無理に診断をする必要がない、しなくてもいい仕組みづくりを整えようという考えの方ももちろんいます。しかし、そうなっていない現代社会において、診断をして薬の処方を受けたり適切な治療を受けたり、周囲の理解を得たりすることは結果的に物事を好転させる力があるのではないかと思います。

もちろん前提として、多くの人々にいろいろな疾患に対する基本的な知識が備わっていることが必要ですが、多様性の時代において(汚い言い方をしたら労働人口が減少している時代において、できるだけ多くの人に働いてもらわないといけない時代において)、精神疾患と向き合うことの意味を一人ひとりが見いだしてほしいと思っています。

昨今SNSでは優生思想が強まってきていて、とても胸が痛くなりますが、そんな世の中だからこそ見て欲しい作品です。
すごくふわっとした感想で、正直ドキュメンタリー作品としては好きではないのですが、この世の中に一石を投じる作品としてすごく意義のある映画だと言い切れる映画です。

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