【スマホ脳】を読んで。私たちはいったい動いているのか、動かされているのか。
最近、和歌山県にある「アドベンチャーワールド」
の赤ちゃんパンダの名前が決まった。
「楓浜(ふうひん)」である。
実は私、「咲浜(しょうひん)」で最終候補の3つに残っていたので
少し残念な気持ちもあるが、なによりパンダが元気で育ってくれればそれでいい。
名前発表の様子は、ユーチューブで生配信されていた。
発表までの胸の高鳴りが抑えられなかった。
「あーー、今、すっごくドキドキしてる」
「スマホ脳」(新潮新書)によると
おそらくこのような瞬間、ドーパミンがドバドバ出ていたらしい。
ドーパミンとは報酬物質であり、また物事へと集中させる作用があるという。
またそれが不確かな期待であるときに、ドーパミンは出るのだ。
自然の摂理は予言できないものが多い。たまにしか実がならない木がいい例だ。ごほうびがもらえるかどうかは事前にはわからない。不確かな結果でドーパミンの量が急増するのは、新しいものを前にしたときと同じ理屈なのだろう。報酬で得られるかどうかわからなくても、私たちは探し続ける。この衝動により、食糧不足の世界に生きた祖先は、そこにある限られた資源を発見し、活用してきたのだ。(スマホ脳より引用)
私たちの祖先は、生きるために不確かな結果に対して、ドーパミンを出して
行動させるような性質を生み出した。
ギャンブルやビンゴゲームなどにドキドキするのも同様である。
ちなみに【不安】も人が生きるために必要なものだった。
お気楽能天気に生きていたら、飢餓や感染症、他にも猛獣に襲われたり、他者に殺される危険があった。(原始的な農業社会においては5人に1人が別の人間に殺されていたらしい。こわい・・・)
現代人が持っている性質は、かつての人類が必要としてきたことが影響している。
そして長い時間、人間が生きるために培ってきたこの性質たちは、この数十年で様変わりした世界に追いついていない。
私たちの身の回りにはそういった、私たちの根本にある性質を利用したビジネスで溢れている。それが悪いということではなく、人間の本質を理解して、本当に自分にとって必要なものを見極めていく力と知識が必要になるのではないか。
他に勉強となったこととして
自然主義的誤謬という言葉がある。
自然に近いほうがいいと思う思考の罠らしい。
私自身、自然のものが一番いいと思っていたし、昔ながらの生活が一番人間にとってもいいものだと考える節があった。
「スマホ脳」の中で、それは研究があったからこそ判明してきたことで、当時の限られた選択肢の中で、それが本当に健康だったかどうか分からないという文を読んで、頭を何かでスコーンと叩かれた気持ちになった。
研究はこれからも進む、新たな発見もきっとある。
すぐ手に入る情報だけではなく、情報をしっかりと精査し判断しなければなぁと思うのであった。
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