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労働日記 Day33_庭仕事と素人仕草

興味があればひとまず応募してみる日々。色んな仕事を体験してみている最近。労働連続33日目の日曜の今日は、庭仕事。特に最高だった。土や虫に触れること。樹木の状態をみて、形に惚れ惚れすること。肉体労働、土を触った指の乾き、湿りけ。ぼくは圧倒的に素人なので、周りが名人だらけの日々である。

素人であるということは、期待の新星。若手の星。都庁の星。野方ホープである。植物や土のこと、もっと知りたい。湘南から伊豆エリアでスポットとかで手伝える場所がほしい。働きたい。(絶賛充電中!の)心臓コーラにもハーブをたくさん使っているんだが、ただ摘み取って、売られているものを使っているのは、どうなのか、と思う。

『野生の思考』によると、とある民族は、植物を、その状態、色、部位、成長の度合いなど細かな違いによって、それらを別の名前で認識している。そして、それらを摘み取る時は、摘み取った後に、タバコやナイフなど自分にとって大切なものをそこに埋めたり、祈りを捧げる。大地との関係性が、今の私はまるで違う。彼らがそうまでした理由の一つには、そういったことをして初めて、植物の物質的なものだけでなく、それがもたらす効果(薬効や精神的なもの?)まで、植物から与えられる(資格?)からだそうだ。わかりそうで、わからない。その感覚について探るためにも、もっと、植物や、食物にちかづいた生活をしたい。

(閑話休題)

周りが名人だらけで私が素人、思い出すのは何年か前に、SFCでパソコンを使って音楽を作る授業をとった日々のことだ。私は、それまで作曲をした経験はなかったが、作曲をしたいという思いはあった。14週間、毎週一曲つくることが課題であるこの授業は、そもそも履修者が少ないのに、ちょっとづつ脱落していく。私は全くの素人、すぐ隣の人はショパンコンクールで賞をとったり、幼い頃から音楽に触れたり、そういう面々だった。

私は圧倒的に素人だと思っていたので、学ぶことができた。毎週、ほかの履修者が提出した楽曲を全てダウンロードし、全てを聞いて、全てにコメントをしたノートをつけていた。すると、明らかに毎週えぐい熱量で音楽を作っている人がいたので、おそるおそる声をかけて仲良くなった。彼は時々うちに来るようになった。また、授業終盤の10週目くらいから、ほぼ毎週、教授に「新造くんの音楽、けっこういいね」などと褒められるようになった。それ以来、私は音楽に対して、素人であることは変わりないのだが、音楽であるとか、自分が素人であることへの、態度が少し変わった。

音楽とは別に、逆に、自分はそのことについて知っているとか、精通している、とか、思ってしまうことがある。そういうのは、なんか、ダサい。学ぶ機会を失っている、というか、喜んだり、発見したりする機会を、ことごとく自分で殺している。庭師の仕事は、圧倒的に、私は、素人である。庭の仕事を手伝う中で、何度か、華道のことを思い出した。10年ほど前に華道を始めた。もう何年もやっていない。もし続けていたら華道10年というキャリアになるんだろうが、それでも、私は華道について、なにもわからないんだと思う。

ただ、華道を始めて良かったのは、今でも定期的に花屋を覗くようになったこと。花屋に堂々と入れたり、人に花を渡すことに抵抗がないこと。それらに精通している必要はなくて、いつでも、その入り口にひょいっと顔を出せることは、素敵なことだと思う。ある種の世界では、ひょいっと入って、出て、を繰り返すことは難しいのかもしれないが、私の現在である「素人」というステータスは、いろいろなことをのぞきやすい。質問しやすい。

何かの本か、言説で見知って、懐にすとんと落ちた言葉がある。それはうろ覚えだから、8割ほどの肉付けをすると以下のようになる。

何かの機会に、ぐわっと有名になったり、自分の時間単価が上がってしまうことは、それによる機会獲得もあれば、機会損失があることに気がついた方がいい。自分のことを高尚だとか、高級だとか勘違いしてしまうと、いろいろなことに手を出したり、挑戦してしまうことをやめてしまう。ふとした小さなきっかけが、じわじわと、あなたを開いていったことを忘れてはいけいない。小さな路地を無視するように歩くようになってしまうと、あなたは自分が誰でありたいかを、忘れてしまうから。

新造真人のうろ覚えと曲解 2022/05/23



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