15.職業訓練校のこり3日で、強制退校に
10月から一般事務コースの職業訓練に3か月通うことになりました。
ここからだんだんと病んでいきます。
一般事務コースの年齢層と男女比
一般事務コースは、30代の子育てしている女性が圧倒的に多かったです。
クラスは20人ほど、男性はそのなかで2人くらいだったと思います。
20代は私を含めて4、5人だったと思います。
40代、50代の方は数名でした。
1か月目は順調だった
最初の1か月は休まずに通うことができました。
1か月間、みっちり簿記3級の勉強をしました。
3級だから簡単だと思っていたら、そんなことなくて苦戦しました。
ある日、先生に個別で呼ばれました。
そこで、社会人経験の少なさを指摘されました。
事務の正社員は倍率がとても高い仕事なので、
事務ではなく違う仕事のアルバイトを紹介されました。
その仕事は、下積み期間は3年ほどありますが、その後は正社員として働くことが出来るだろうとのことでした。
私としても、職業訓練校に通いながら求人を見て、だんだん正社員や事務職にこだわらなくていいと思ってきていたので、先生が勧めてくださった仕事に応募することにしました。
しかし、その仕事に対する知識が全くなかったので、専門書を購入して勉強することから始めました。
2か月目、精神が不安定になっていく
職業訓練校では、簿記はパソコンについての授業以外に、職務経歴書や履歴書を書く時間がありました。
そこで事件が起こりました。
先生が私の職務経歴書に書いてある退職理由を、他の生徒がいる教室で読み上げたのです。
そして、たくさんの指摘をされました。
私の退職理由はメンタル疾患が理由なので、クラスメイトに知られたことがとても辛かったです。
メンタルが落ちて気持ちが悪くなり、いつでも泣ける状況になりました。
適応障害になった時と同じ症状です。
職業訓練校を休み精神科へ行くことにする
メンタルの限界を感じ、すぐにでも精神科へ行きたかったのですが、以前通っていた精神科はすぐに予約をとることができなかったので、違う精神科を予約しました。
職業訓練校を休むことに対しての罪悪感がすこくありましたが、薬で精神を安定させ、明日からはまた職業訓練校に通って就職をするために、今日は休んで精神科へ行くんだと自分に言い聞かせました。
初めて行く精神科はやはり緊張してしまいます。
Googleでの口コミはそんなに悪くないけど、なによりも医師との相性が大切。
医師から傷つけられるような言葉や、否定的なことを言われたらどうしようと不安でした。
翌日、精神科へ行く
無事に精神科へ行き、今の状況について説明することができました。
安定剤と睡眠薬、不安な時に飲む薬を1週間分、処方してもらいました。
その日の夜、明日職業訓練校へ行くことが怖くて仕方ありませんでした。
職業訓練校では休んだ理由を話さなければいけません。
また、私の場合は薬の影響で眠くなりやすくなってしまうため、そのことについても先生に話さなくてはいけませんでした。
精神科から家に帰ってきてから、明日どのように先生に伝えればいいのかわからないと大泣きしました。
彼氏は冷静に、私がどうしたいか、何を先生伝えたいのか質問してくれて、先生に伝える内容を提案してくれました。
頭の中では、先生に怒られたり、精神科に通いながら職業訓練校に行くことはダメだと言われたらどうしようと、不安でいっぱいでした。
結果的には、無事に先生に伝えることができ、精神科に通いながらでも職業訓練校に行けることになりました
先生と面談をして泣く
月末、面接練習がありました。
しかし、私のメンタルは不安定の極みで、面接で退職理由などの仕事に関することを聞かれたら泣いてしまう状態でした。
そこで、先生に相談をして、面接練習ではなく、面談をすることになりました。
その面談で、先生に「立ち止まっている、前に進めていない」と言われました。
なぜそのようなことを言われたかは覚えていないのですが、泣きながら毎日学校に通っているのに…と落ち込みました。
消えてしまいたい気持ちでいっぱいでした。
3か月目、自死を意識し始める
メンタルはどんどん悪化していきました。
職業訓練校の教室で1日中泣き続けたり、家で涙が止まらなかったり、過呼吸になったりと、自分で想像していない症状が起こるのです。
自分で自分をコントロールできない
考えがまとまらない
何をしたらいいのか、なぜこのような症状がでるのか
生活を送ることが苦痛でした。
そんな時、先生に「職業訓練校やめたら?」と言われました。
職業訓練校をやめたら収入がなくなります。
メンタル的に今すぐ働く方が難しいので、休み休みでも職業訓練校にしがみついてやると思いました。
双極性障害と診断される
精神科へは週に1度通っていました。
ある日精神科へ行ったら、双極性障害と診断されました。
自分でも適応障害の症状だけではないよなと思っていたので、メンタルの不調の理由が分かり、安心しました。
そして、疲れがドッときました。
職業訓練校を2日休んでしまい、行くことが怖くなってしまった
メンタルの不調で、2日連続で休んでしまいました。
当時、職業訓練校へ行くことが怖かった理由は以下の通りです。
確実に落ち込む、泣くことが分かっている場所へ行くことが怖い
最後に行った日に症状が悪く、泣きながら帰ってしまったため、クラスメイトたちの視線が怖い
クラスメイトから、普通の状態の人ではないと気づかれているだろうから、2日休んでから教室に入った時の視線が怖い
怖かったけど、なんとか踏ん張って行きました。
先生からのアドバイスに困る
先生から個別で、「自分よりすごい人を見て劣等感を抱くのではなく、自分より恵まれない人を見て、いかに自分が恵まれているか実感した方がいい」というアドバイスをいただいました。
正直、他人がどうとかではなく、とにかく今、自分が辛すぎるし、自分の感情をコントロールする方法が分からない。
とにかく困っているんだよ、と思ってその場で泣きました。
先生も最大限に寄り添って、よかれと思ってアドバイスをしてくださったのだと思いますが、当時の私をそれを受け止める余裕がありませんでした、
精神科で自立支援制度を勧められる
自立支援とは、受診料や処方箋の料金が原則1割負担になる制度です。
また1か月あたりの負担額の上限も決まっています。(私の場合は5,000円です)
こちらのHPに詳しく書いてあります。
正直、とても助かる制度でした。
1回精神科へ通うと3,000えんから6,000円くらい払っていたので。
一定期間ごとに更新が必要で少し手間ですが、現在も利用させていただいています。
障害年金を検討し始める
この時期から、障害年金の申請を意識するようになりました。
専門書を読んで勉強しました。
うっかり先生にそのことを話してしまい、「あなたくらいの症状では障害者手帳すらもらえない」と言われました。
「社労士を雇っても2級を取るのは難しい」
「職業訓練校を辞めて、週2でもいいから働けば」と。
ショックでした。
自分でも、これくらいの症状でもらえるのかなと思ってはいましたが、他人から決めつけた言い方をされると、混乱してしまいました。
こんなに辛いのに、自分で自分をコントロールできないのに、他人と話すと涙が出てしまうのに。
働ける状態ではないのに、どうやってお金を得ればいいんだ。
週2でアルバイトしても生活できるはずがない。
なんて無責任な言葉なんだろうと思いました。
もっと悪化しないと障害年金も障害者手帳ももらえないって言われても、これ以上悪化したくないし、今の自分の生き方が分からなくなってしまいました。
最後に「そもそも、障害年金が通らなかったらどうやって生活するの?今、病気で働けないんでしょ?障害年金より生活保護を申請しなよ!」と言われました。
生活保護という言葉にびっくりしてしまいました。
生活保護に対する知識が、私には全くなかったのです。
だけど、今の自分にはその道しか生きる方法はないのか、と思い
その日の昼休みにkindleで生活保護に関する専門書を購入して、急いで読み漁りました。
それほど、追い詰められていたのです。
自死を意識し始める
先生の言葉もあって、私はどんどん追い詰められました。
今は働くことができない。
障害年金が通らなかったら、今後の人生の見通しがつかなくなる
障害年金をもらうためには、もっと具合が悪くないとだめなのか
でも、これ以上辛くなるのは耐えられない
生活保護はなんだか怖い
お金が無くなったら死ぬしかないのか
この状況になったのは自分の責任だから、自分の人生を諦めるしかないのかもな
お金を稼げない→死ぬしかないと思うようになりました
いろいろな欲がなくなる
先生から言われたことを、家に帰ってから彼氏に話して大泣きしました。
この頃、食欲が湧かなくて、コーヒーを飲むか龍角散をなめるしかできませんでした。
何かを食べたい、という欲がなくなっていました。
また、おしゃれをしたいという欲もなくなっていて、家にある服を適当に着て、メイクはせずに職業訓練校に通っていました。
クラスメイトの前で、先生に病気のこと、障害年金のこと、昔いじめにあったことを話される
なぜかクラスメイトの前で暴露されました。
これまでも、先生とこういう話をして何回も泣いてるんだから、もうそっとしておいてくれと強く思いました。
「僕が今まで見てきた障害者の中で、君は症状が軽そうにしか見えない」とも言われました。
普通に泣きました。クラスメイトの前で。
精神科へ行くために半日休んだら、先生にずる休みだと疑われて、クラスメイトの前で言い合いに
メンタルがどんどん沈んでいって限界だったため、午後の授業を休んで精神科へ行くことにしました。
そしたら、先生にズル休みだと疑われました。
そうではないと言い合いになり、クラスメイトの前で大泣きしました。
結局、事務局の人と話して、職業訓練校も残り数日で終わりだったため、休みたい時に休んでいいことになりました。
先生は私が泣くまで詰める癖?がありました。
何か、もう、本当に辛かったです。
職業訓練校の強制退校が決まる
職業訓練校も残りあと3日の時、彼氏がコロナウイルスに感染しました。
同居していたため、私は濃厚接触者に。
休める日数が足りないため、強制退校となりました。
頑張って職業訓練校に通っていたけど、メンタルが不安定になって、休み休みになってしまった罰かなと思いました。
とても虚しい気持ちになりました。
つづく