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命の危険に晒されながらゴールした服部勇馬選手にみる「失敗」と「やめる」ことの狭間

「何度も棄権が頭をよぎったが、支えてくれた方、これまで戦ってきた選手の思いを踏みにじるようなことは絶対にしたくなかった」

五輪マラソンで深部体温が40度以上になり、重い熱中症の症状がありながらも73位でゴールした服部勇馬選手のゴール後に残した言葉である。

今日は、冷静にこの言葉の意味を考えたい。

重い熱中症の症状がありながら命の危険に晒されてエリートアスリートがボロボロになって完走した。これって美談でしょうか

大会に向けて支えてくれた方や、五輪代表選考会でしのぎを削ったライバル選手、出たくても出られない人たちの思いを考えると途中棄権なんてしたらダメだ、ゴールしなければならないと思ったのだろう。

言い方が適切かどうかは分からないが、今回の服部選手の五輪レースは、端的に言葉で表わすと「失敗」であろう。

結果を愚直に追い求めてきた服部選手に「最後まで頑張ってゴールしたから素晴らしいね」「感動しました」なんて健闘を称える言葉は一切、彼の心に響かないと思うし、そんなことを言う方が服部選手を過小評価しているようで失礼だと僕は思う。

これだけはハッキリと言えることは、プロセスも結果も本来の強い服部選手とは程遠いものだった。

この選手生命に影響が出るかもしれない危険な状態だったレース。

なぜ、こんな状態で何度も頭によぎった「やめる」選択肢を行使しなかったのだろうか。
そこには日本に蔓延する「やめる」ことに対する負のイメージが脳内を支配してしまったのではないだろうかと僕は思う。

「やめる」ことは弱さなのか。

最近、多くの人を見ていて思うのは、強い人はやめることを躊躇していない。

常に人生の軸で物事を考え「これは人生でマイナスになる」という結論がでた時、それをすぐにやめられるのが強者で、そんな簡単にやめられるわけないと思うのが弱者である。

強者こそ「やめる」ことを恐れてはいない。

僕たちが生きる一般社会では、目標達成において「失敗」することの方が「やめる」ことより受け入れられやすくなっている。

「失敗は成功のもと(ことわざ)」
「チャレンジしての失敗を恐れるな。何もしないことを恐れろ(本田宗一郎 )」

こういう言葉が理念になっている会社もあるように、失敗は「強さ」や次回の「成功の道しるべ」の象徴で周囲からも寛大にみられがちである。人は失敗してもなお目標を追う人を好み、その忍耐力と没頭力を称賛するところがあるからだ。

一方で、やめることは「弱さ」とみられがちである。やめる人に対してはかわいそうに思い、共感もわかず、関心さえも持たれないこともある。まるで、やめた人からは学ぶことがないかのように。

こういった「やめる」ことをよしとしない風潮によって、周囲の偏見により、自分にとって何の価値もない仕事や人間関係、約束を続けなければならなくなる。その結果、本人は「やめる」ことへの恐怖が執着し、より一層見えないゴールの中でやみくもに頑張ることになる。身体のコンディションやメンタルヘルスの状態を犠牲にしながら。

服部選手の話に戻そう

一流のマラソンの世界を知らない僕が言うことではない?そうかもしれない。しかしトップクラスの力を持つエチオピアの3選手は今回「全員」途中棄権したことから、相当ハードな環境だったのだろう。

エチオピア3選手 東京五輪2020 結果
シサイ・レマ   (PB 2:03:38   ハーフ過ぎ棄権)
レリサ・デシサ(PB 2:04:45   30km過ぎ棄権)
シュラ・キタタ  (PB 2:04:49  5km過ぎ棄権)

金メダルを獲得すれば経済的なインセンティブが大きいエチオピア選手にとっても、体調と相談しながら最後まで続けることの意義や価値を見い出せなかったのかもしれないし、すでに次回のレースを見据えたのかもしれない。

五輪は確かに大きな大会だけど、ダメな時は仕方がない。ベストパフォーマンスが出せる時にやる。彼らは「強者にのみ許された権利」を行使したのだ。

僕は、重い熱中症になってまで自己ワーストタイムで無理して完走した服部選手のゴールは美談でもないし、世間が美談にする風潮はよくないと思う。続行によって選手生命に影響が出るかもしれない状況だった。

五輪に人生をかけてやってきた。
周りも応援してくれている。多大な時間を注ぎ込んで求めたものを途中で「やめる」人生なんて、考えられない状態だったのかもしれない。だから「やめる」よりも「失敗」を選択したのかもしれない。

「必死にもがいて手に入れた五輪だったが、今回これを無理するよりも次のレースで結果を出すマラソン人生だってありえるよね」

と思えれば、思い切ってやめることもできたかもしれない。強い服部選手には、周囲を気にせずに「強者にのみ許された権利」を行使して欲しかった。

仕事ではどうだろうか

総務省『2020年(令和2年)労働力調査』によると、2020年の転職者数は約319万人。前年に比べて32万人の減少になったようだ。
過去10年を見ていくと、右肩上がりだった転職者数が大きなマイナスを記録。

転職者数
2011年:284万人(前年比1%増)
2012年:286万人(前年比2%増)
2013年:287万人(前年比1%増)
2014年:291万人(前年比4%増)
2015年:299万人(前年比8%増)
2016年:307万人(前年比8%増)
2017年:311万人(前年比4%増)
2018年:329万人(前年比18%増)
2019年:351万人(前年比22%増)
2020年:319万人(前年比32%減)

昨年に関しては、新型コロナウイルスの感染拡大で再就職に躊躇した人が多かったのだろう。 

「この会社をやめたら、今以上の条件で再就職できない」

こう思って、どんなに会社が大変な状況であっても、どんな上司からの評価であっても、パワハラを受けても自分に強みのない弱者は、簡単には辞めるべきではないと考える。

労働者調査をみても明らかな通り、今のご時世、会社に忠誠を誓って、今いる会社に骨を埋めて定年退職まで同じ会社で働き続けようと固く決意している人は殆どいない。

僕の周りでもそうだが、強者は周りに話さずに、機会があったらサクッと転職してしまっているように思う。

 「何やっても生きていける」「今ここを辞めても自分が築きあげた評価は他社に行っても下がることはない」と思えれば、さっさと辞められる。

学校でいじめを受けた小学生 (今は中学生) You Tuberがいるが、彼の行動の是非はここで意見をするつもりはないが「学校なんて行くのやめてもなんの問題もない」と思えれば、別の居場所が見つけられる。

「友達なんていくらでも作れる」「この人達から嫌われたって問題ない」と思えれば、無理して嫌な友達関係に居続ける必要もないし、嫌なものは嫌と言える。

だから、失敗が「強さ」の象徴で、やめることは「弱さ」ではない。「逃げ」でもない。
「いつでもやめられる」選択肢をもった人は、強さの証をもった人である。

「いつでもやめられる」選択肢をもった生き方をしていきたい

東洋大学時代から服部選手を応援してきた。

駅伝では無類の強さを誇り、箱根駅伝でも各大学のエースが集う花の2区で2年連続の区間賞に輝いた。マラソングランドチャンピオンシップでは終盤の41キロ付近で最後の力を振り絞って大迫選手を抜き、劇的な形で代表内定を勝ち取った。

こんな強い人だから危険な時に「やめる」ことを恐れないで欲しい。仮に棄権しても評価が下がることもなければ、支援してくれた人の誰もが批判することはない。

致命的な傷を負わなければ、いつだってやり直す力をもってるし、やり直すチャンスもある。

僕は服部選手のように「やめたいことは、いつでもやめられる選択肢」をもてる強者になりたい。そして、人生の軸で物事を考え「これは人生でマイナスになる」という結論がでた時、躊躇せずに「やめる選択肢」を行使したい。

それってもしかすると「やりたいことを何でもやれる人生」よりも豊かな人生を歩めるような気さえしている。

「これって本当にやるべきことか?」「やめる選択肢は考えられないか」を常に問い続ける生き方を僕はしていきたい。

最後に、服部勇馬選手お疲れさまでした!

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