なぜ営業一筋うん十年のおっさんは「君にはもっと苦しんでもらわなきゃな、エヘヘ」と言うのか
「本を書く人になりたい」
最近、小学1年生なる長女がしきりに将来の夢をこう語ってる。
鼻息荒めに、フガフガと。
恥ずかしいので、親だから多少控えめに言ってはみるものの、やはりフガっている。
そして
‘’毎日、本を読む!‘’
と断固とした決意宣言をするではないか。
あれ?真剣?
保育園の頃は毎日ケーキが食べられるから「ケーキ屋さん」、
小学生になったばかりの頃はキツい胃腸炎を救ってくれた「お医者さん」。
今度は正反対の超文系かいな。
そういえば、我が家の財政破綻を恐れて
得意の聞いていないふりをして難を逃れたが、オリンピックの‘’羽生結弦くん‘’をみてフィギュアスケートがやりたいとも言っていたな。
短期間でなりたい職業ブームは突然やってきて、数ヶ月の内に爽やかにさっていく。
まるでボクがキムタクドラマをみて、
建築士、広告代理店、美容師、検事、パイロットと、将来の夢が次々に遷移してきたのと同じで、
「親も親なら子も子」
なのか、
「この親にしてこの子あり」
なのか、
それはおそらく前者であろうが、
外部からの影響の受けやすさという面においては、遺伝子レベルのつながりの大きさを
とてつもなく感じさせられる。
実は今回のライターの夢。
これには少し理由があって、
小学生あるあるになるのであろうが
夏休みの読書感想文で
書いた作文が神戸市から兵庫県まで進み、えらくたいそうな賞を頂き、どうやらそれで自信をつけたようだ。
「鳶が鷹を生む」
これについてはその言葉のとおりだろう。
親父は、バコバコと雑記を書いて自己満に浸っている最中、親から見ても
「なかなかどうして」
な、一年生にしては真面目でご立派な感想文を完成させていた。
素晴らしい感想文と、どでかい表彰状と盾を前にして
「そうか。ライターになれたらいいね」
と相槌を打ちはするものの、
とても臆病で用心深く、安全であろうとする大人の心で斜に構えてこうも思う。
子どものような純粋な心で
「好きなことを仕事にする人は、本当に幸せなのだろうか?」
ってね。
フリーライターとして生計を立てられるのはほんの一握りの世界
何度もココに書いてきたから
もはやしつこいかな。
だけど、前に話を進めるために書こう。
ボクは10年以上も前、それこそ真鍋かをりさんがブログ女王のような扱いをされていた時代に真剣にブログに向き合っていた。
当時、読み手の皆様の日常に少しでも感動や気付きを与えることが出来ればと切に願う、
…と、いうことでは決してなく、
シンプルに自己満足のみを味わって、
一人部屋にこもって世界中にワレココニアリと恍惚の表情を浮かべていたい
…という純真無垢な心を持ってコソコソとやっていた。
しかし、今ほどにSNSが流行っていなかった時代の背景もあったのだろう。
毎日のように粛々とシンプルに雑記をつづる斜に構えたアホな素人ブログは
当時としてはもの珍しく、
各所で、おもしろブログの扱いで取り上げて頂いたことによってアクセス数はみるみるうちに急増していった。
その甲斐あってか、
普通に生活していたら出会えないような人とも接点がもてたり、人脈の広がりに関してはそれはもうとてつもなく大きくて、
10年以上経った今でもボクの財産となって人生を彩り豊かなものにしてくれている。
しかしそんな状況であっても
当時はブログを収益化する仕組み自体が乏しくて、WEBでポッと出の素人が少々人気が出たところで
おカネ儲けしようものなどとは、夢のような話で、そういう有能も確かに居はしたが、そのハードルはものすごく高かった。
現在は、収益化の仕組みが整ってきてはいるものの、
それであっても
ネタ探し、文章作成、SEO対策、サイトのデザインや構築、定期的な記事のメンテナンス、アフィリエイト設定など
やらなければならないことはいくらでもある。
多くの人から訪問してもらえるような専門コンテンツを作るか、同じ人に毎日訪問してもらうように毎日更新するか。
収益の目安としては、WordPressで月間PV数30,000(1000PV/日)のブログを作って、おおよそ1~2万円/月。
たったこれだけの収入をまともに稼げるようになるだけでも文章力や構成、配置を磨くなど、バイトよりも時間給が安い中で長期的な努力をコツコツと強いられる。
もちろんいくら時間かけてやっても無報酬なんて当たり前の世界。
娘よ、それでもいいのか、って話。
しかしこれをやって利益を上げてる人の多くは特別な苦労を感じてはいない。炎上とか中傷とかに悩まされることはあっても、その作業については好きだからやっている。
全部ひっくるめて楽しいのだ。
好きなことをやる、好きなことを仕事にするというのはそういうことである。
「努力は必ず報われる」
AKBの歴代のメンバーを言いなさい。
と言われても、
サッシーと、えーっと、えっと、、、、
と、ボクは3人くらいしか顔と名前が一致しないおじさんではあるが、
「努力は必ず報われる!」
と、総選挙で上位に入ったメンバーがファンに向けて声高々に叫んだスピーチは
今でもボクの脳裏に刻まれている。
それも鮮明にね。
芸能ニュースでそのシーンが流れるたびに、
ステージ上で大歓声を浴びる一握りの
「努力が報われた人」にそう言われるのは、
なんだか自分が努力していないことを突き付けられているみたいな気になってしまった。
ごめんね、若いアイドルさん。
「努力は必ず報われる」って、
ボクは「無敵フレーズ」だと思っちゃうのね、どうしても。
なぜなら
「努力してもうまくいかないこともある」という反論に対しては、
「それはあなたの努力が足りないから」、
「努力の方向性が間違っているのだ」
と言えばいい。
もはや無敵の説法である。
そしてボクの経験上、
こういうことを言う努力家の人ほど
他人を潰しがちになる。
営業一筋何十年の人が、
新人営業マンに冷たかったり
「君にはもっと苦しんでもらわなきゃな、エヘヘ」
とか言っちゃったり、
仕事一筋女性管理職の方が、ワークライフバランスを大切にしようとする女性を潰しにかかったり。
努力っていうのは、
「こんなに頑張ったんだから」「これだけ頑張らないと」と自分や他人の心を縛るものでもある、
と、ボクは感じるのだ。
「報われない努力だったかもしれない」
公認大会として初めて4回転アクセルの認定を受けたものの、ジャンプは失敗に終わり、インタビューで言葉を詰まらせて羽生結弦選手はこう語った。
世界を2連覇した‘’絶対王者‘’から生身の人間らしさが、ポッと出たこのフレーズは、
ボクのココロにグッと刺さった。
あの世界の羽生結弦である。
努力が足りないわけでも、努力の方向性が間違っていたわけでもなく、
「いくら努力してもうまくいかないこともある」
やっぱりそれは運やコンディション、
様々なことが要因で、ここぞという時にたまたま力が発揮できないこともあるのだ。
入試にしても、発表会にしても、営業にしても、大会にしても、プレゼンにしても。
それがニンゲンである。
だから、報われない努力なんてのは
ありきたりな、ありふれた日常である。
もちろんパパであるボクにだってあるし、
これからの人生であなた(長女)にだってあるだろう。
それを分かった上で、それでも努力を継続することができるのか。
与えてくれるチャンスが目の前に不意に現れたら、すかさず逃さずそれを活かせるように、普段から努力しておくことができるのか。
娘よ、それこそが重要なんだ。
努力すべき対象を「面白い」と感じ、無報酬であろうとなかろうと、のめり込む。
努力のプロセスをいちいちカネ勘定したり、心底は嫌っていたり、つらく感じるだけの状態で、結果を出すためだけにずっと続けられる人って、まずいないから。
だからこうだ。
「努力は必ず報われるわけではない」し、
「正しい努力が良い結果をもたらす」
というよりは、
「良い結果をもたらしたプロセスが、『正しい努力』と一般的に認定される」
のではないか、
って。
そう、つまり紙一重。
だからボクもあなた(長女)に負けずに、
報われないことは人生でたくさんあるけれど、
前のめりで、
いつまでも鼻息荒めにフガフガしていなきゃな、って、
そう思うんだ。
よし、今日からまた頑張ろう。
子どもたちが将来を語る、ありふれた日常がここにある
ライターになりたい、ケーキ屋さんになりたい、お医者さんになりたい…
何年先もの未来をボクたちは語り、
そしてそのために努力しよう、継続しようと決意する。そんなありふれた日常が幸せなことに今、気づかされる。
ボクたちの目の前の景色とは全く対照的な信じられないニュースが、ふとテレビに目を向けると毎日流れてくるのだ。
平和な日本では想像のつかない事が海の向こうでいま起こっている。
ロシア軍の暗闇を照らす炎でユニコーンのパジャマを着た6歳の女の子が犠牲となり両親が涙する。
圧倒的な暴力の前では、どんなに立派なニンゲンでも、夢をもった子どもでも、道徳的な行動でも、自分の弱さに絶望しながら傷つき、そして命を落とす、
それが戦争なのだ。
一国の大統領の腹いせで、平穏に暮らしている無関係な小さな子どもの未来を一瞬で奪う愚かな戦いが繰り広げられているという事実を前にして
‘’ナニを守らなければならないのか‘’
‘’どんな未来をつくらなければならないのか‘’
これは国民全てに問われているし、ボク自身への問いかけでもあると思う。
あえてこのnoteでは政治的分野については断定した発言を控えてきたボクではあるが、
怒りが充満した主義主張をしたくて、
ココロが、魂が、そして細胞が震える。
ロシアがウクライナに対して起こした戦争に強烈に反対したい
強きものが弱きものを虐げるような社会の存在は絶対に許せない
ちっぽけなボクの断固とした意思をここに記しておこう。
ウクライナの子どもが未来の夢を語れる
ありふれた日常に戻りますように。
プロフィール欄の「毎月FIREまでの道のりを記します」、はどうなったのか?
note開設当初より、学資用として位置づけている「子どもの証券口座」のみを月末に公開していたが、ボクのnoteの目的からハズレるためアメブロに掲載するようにした。
殆どの人が興味ないかと思いますが、もしも興味がございましたらご訪問ください。
【2月概要】
子ども口座 総合計 12,150,719円
後半は戦争による影響で日経平均が先月末比2.4%の微下落。我が子の資産は1ヶ月でみるとその影響がなく、結果として前月比約36万円の増となった。
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