僕たち人類は「教えてもらっていないです」という難解な回答にどう立ち向かっていくべきか
「おちゃ」
我が家の末っ子3歳児は、喉が渇くと欲望に忠実に何食わぬ顔して端的にそう発する。
「これ、いらない、いらない」
どうやら出された食事がお気に召さなかったらしい。どのようにマズいのか、どこがマズいのかというディテールは伏せて、あくまで抽象的に「いらない」という漠然たる事実を連呼する。
喉が渇いているのは、おいしいものが食べられないのは全部、お前たちのせいだ。
まさに親鳥から「わかりやすく」噛み砕かれたエサを与えられるのを口を開けて待っているひな鳥である。
「エサはまだか」
「早くちょうだい」
「なんだおいしくないじゃないか」
と、ピーピー鳴く。
我が家の末っ子3歳児は、まだ自分でエサを取りに行くことのできない手のかかる幼児ちゃんである。
「教えてもらっていないので、わかりません」
残念だが、今度は幼児の話ではない。
かつての部下であったお坊ちゃま君の圧倒的真顔から放たれる力強い必殺技フレーズである。
彼に限らずたまにこのフレーズを駆使する策士に出くわすが一体この台詞は誰に向けられた不満なのか等の詳細は全くの不明である。
僕は何度もここで述べてきたとおり、人との摩擦というか険悪な空気が死ぬほど嫌いであるが故に、これを堂々と宣言して場の空気を凍らせてしまう人と仕事を共にするのが極めて苦手である。
通常の人は「分からない」場面に遭遇した場合、上司や先輩に対して
「ちょっとそこはまだ勉強不足でした」
「今から何をすべきでしょうか?」
「わからないので教えて下さい」
と謙虚に言うであろう。
しかし彼らはそうやって聞いてしまうと自己の積極性が現れて改めて学習しなければならなくなるので、
「僕は今、誰からも教わっていないのに、あなたから『やれ!』と指示されてイラっとしてます」
という内に秘めた感情を労せずして相手に暗示させることのできるこの力強い必殺技フレーズをチョイスしてくるのだ。
このフレーズには、たまに「サッパリ」という強調語をつけるかどうかのオプションがある。
策士になればなるほど
「サッパリ」
と見事にコラボさせて
「教えてもらってないので、サッパリわかりません」
と、原型から派生したレジェント級の金言をぶっ放すのだ。
ぶっ放されて周囲が凍てついたら最後。
空気を読んで見かねた優しい周囲が手助けを始めるが、彼らはその最中においても傲慢で不遜な態度を見せる姿勢にぬかりない。
「そんなことはもう試しております」とか、
「さすがにそれは知っております。」とか、
「私はこのほうがやりやすいんで」 等々
さすがに、
「有難うございます!教わって分かったので、より一層頑張ります!」
とでも言うだろうと想定していた周囲はその堂々たるスタンスに多少面食らって「…お、おう。」となると同時に、神経を逆なでされて軽いパニック状態に陥ってしまうのだ。
そもそも「教えてもらってません」というのは、学校やアルバイトでしか通用しない特殊な言い訳ではないだろうか。
と、僕は思っている。
それ以外で言ったところで、世の中は教えてもらっていなくても知っている奴が強いのが摂理である。
この自然の摂理。
今までの人生を振り返ると僕達は日々、なにかと小競り合いを続ける生き物で、食うか食われるかの弱肉強食の世界を生きていると言っても過言ではない。
実は、この構造をお坊ちゃま君は認識していないワケではない。
というのも僕の部下だった当時、彼はパズドラというアプリゲームにどハマりしていた。
そう、課金ゲームの先駆け的存在で、開発会社の株価を1年で114倍に押し上げた神ゲー。
誰もが知る「パズル&ドラゴンズ」である。
このゲーム。
別に課金をしなくても、ストーリーを進めていれば一定数のキャラは手に入るし、強キャラが手に入るガチャも回せる。
それで良い。
充分良い。
ほどよく楽しめる。
だから僕の周囲は別にお金はツッコまず、無課金で堪能する冷静な、大人なスタンスで取り組むスタンスの人が大半だった。
無論、始めた当初はお坊ちゃま君も無課金でストーリーをこなしていた。
しかしそんな風に平和に過ごしていたある日、彼の担当クライアントに営業同行していた最中の電車で、彼から信じられないものを見せられた。
なんと彼のテンプレパーティに赤オーディン(通称 赤オデン)が5体いるのだ。
※当時は赤オデンパーティは最強と言われていた
調べに調べ尽くして、彼はある時に必勝法を悟ったのだ。
あらゆるダンジョンを汎用性の高い方法で簡単に攻略するためには赤オデンのフルパーティで挑むべきなんじゃね?
と。
だったら課金して魔法石買ってガチャを回し続ければ、いつかレアキャラ赤オデンを大量に入手できて、うぉぉぉぉぉぉーーー!
になるんじゃね?と。
それを悟った彼は、給料日に魔法石を買いまくり赤オデンが出やすい日や時間を様々なサイトをみて研究し、その日、その時間になるとガチャを回し続けた。
来る日も、来る日も、ガチャを回した。
そして総額50万円を投下したある日のこと。
彼はついに赤おでんを5体揃えたのだ。
ネットでできるかぎりの情報収集するために時間を投下した。
個人練習を重ねて何連鎖もできるようになった。
極めるためにカネを投資した。
ようやく努力が形になった。
達成感があって、よほど嬉しかったのだろう。仕事中にも関わらず、鼻息荒く僕に見せてきた。
余りの勢いと猪突猛進さに、「イノシシかこいつは」と思った。
このキャラのココが凄い。
このパーティで行くと攻撃力が100倍になる…
彼の語る言葉は端的ながらもそこに苦悩や歴史を感じさせ、まるでパズドラによって世界平和を守るために戦うのだ、と言わんばかりだった。
そこには、彼に宿る確かなイノシシイズムがあった。
詭弁だ。
仕事における営業トークよりも滑らかだ。
にわかには信じ難い程、滑らかだった。
そう、「誰からも教わらず」に彼はココまで極めたんだ。
ヤル気の問題ではなく、向上心があるかないか
仕事を「こなすもの」だと割り切る人、「月曜日から金曜日は耐えるのみ」とディフェンシブに捉える人にとっては、どんなに周囲が親切に教えようと、業務が便利になろうと、新しいことを始めたり教わったりするのは迷惑でしかないのだ。
だってこういう人は、同じ時間勤務すれば同じだけの給料がもらえると思うのだから。
では、その人たちはやる気がないからそんな態度なんだろうか?
いいや、やる気はある。
やる気がなければ、そもそも質問したり、アドバイスを聞いたり、教えてもらったりはしない。
でも、圧倒的に向上心が足りていない。
この人たちが求めているのは、
「できることを増やして自分をレベルアップさせる方法」よりも、
「現状の自分でどうにかできる手っ取り早い解決方法」
である。
だから「教えてくれ」を連呼する。
「教わってないからさっさと教えろ」と言う。
「クリアしたい」気持ちは同じでも、「そのために努力する」気持ちは同じじゃない
どんどん便利になる世の中。
その恩恵を受ければ受けるほどに僕たちは、どんどん効率化を求めるようになっていく。
何をするにしても、ひな形はどこにあるか、何をやって、何を省くべきか。
最初からすべて説明があれば、探したり、試行錯誤したりといった「無駄」がない、というわけである。
もう、これはひとえに色んな情報が「考えずに」簡単に手にはいるようになった時代背景によるものが大きいように思う。
だからディフェンシブに捉えているものや向上心がもてないものに対しては
「現状の自分でどうにかできる手っ取り早い方法」
でサッサと解決しようとしてしまったりする。当然、これは僕自身にも向けた戒めの言葉でもある。
手軽なチャレンジからはじめてだんだん本気になることであっても、人間は弱い生き物なので惰性に身を任せればスタート時点で簡単にクリアできる「その場しのぎ」の方向に舵をきってしまうのだ。
そうやって効率的に分かる方法を教え込まれてきたから、いつでもどこでも、僕たちはだれかが答えを与えてくれると思ってしまう。
だから堂々と文句を言えるのだ。
「わかりづらいのはお前のせいだ」と。
じゃ、
Google MapやGoogle Earthは上からやらされて作ったのか?
誰かに教わったのだろうか。
そうじゃないだろう。
「こんなのあったら楽しいよね」
「こんなのできたら世界が変わるよね」
と子供のように目を輝かせてワクワクしたGooglerが、個人的な想いからプロトタイプを作って、次々とこの魔法のような夢のサービス群を採算度外視で実現してきたはずと記憶している。
つまり体育の授業だけでトップアスリートにはなれないのと同じように、やっぱり何かを創造しよう、スキルを向上しようと思ったら、人から学ぶだけではなく自身で新しい何かを学んで切り開いていかなければなければならない。
だから学校や職場から本当に学ぶべきなのは「考え方」と「基礎知識」で、「応用は必要なものを自分でやってください」なのだと思う。
人に聞いて仕事を進める手法しかないと、周囲に対する依存心が強くなり教えてもらわないと何も進められない状態になってしまう。
で、長々と綴ってきての結論。
「Twitterの運用の仕方やフォロワーの増やし方習ったけど、noteの運用の仕方や機能を駆使する方法、フォロワーの増やし方は教えてくれなかった!」
なんて言わないようにしないと。
そう自身に戒めた休日の朝でした。
よろしければ、こちらのフォローも気軽にお願いします!Twitterはフォロワーの更新が分かりやすいので僕もどんどん勝手にフォローさせて頂いております。
https://twitter.com/challenger2525k
プロフィール欄の「毎月FIREまでの道のりを記します」、はどうなったのか?
note開設当初より、学資用として位置づけている「子どもの証券口座」のみを月末に公開していた。
しかし、文章を綴るnoteで口座を公開するのは自分の中では違うのかもしれないと思い始めて、先月よりアメブロに掲載するようにした。
殆どの人が興味ないと思いますが、もしも興味がございましたらご訪問ください。
【10月概要】
投資銘柄が引き続き堅調に推移したことから、前月比+1,148,025円となった。
【2021年5月】 三人総合計 9,741,765円
【2021年6月】 三人総合計 9,279,865円
【2021年7月】 三人総合計 9,261,465円
【2021年8月】 三人総合計 9,961,590円
【2021年9月】 三人総合計 10,530,290円
【2021年10月】 三人総合計 11,678,315円
もし本記事が面白いと感じて頂けた方は「♡スキ」を押して頂けたら幸いです。またフォローやシェアして頂けたら大喜びです。
育児、マラソン、投資の仲間をnoteを通じて皆様と交流できたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。 by ゆづお