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脱・お師匠ジプシーで得たもの【マインド】

かつて、完璧じゃなければ語る資格がないと思っていた頃、私は「ホンモノ」に師事するために「お師匠ジプシー」をしていたことがあります。


子供の頃から


他人に語る資格があるのは、一点の曇りもない聖人君子でなければいけない、と思っていたフシがあります。

小学校高学年は、全学期、班長を務め、先生の代理人となって厳しく級友を指導する傍ら、自分も超お堅い人間をやっていました。

休み時間には元来の「おふざけ」性質が顔を出すので、休み時間と授業中のギャップが激しすぎる、と小学校の頃から級友に作文に書かれていました。

(全員が、全員あてに印象を書くとかいう授業・・・)


社会人になっても羽目が外せなかった


社会人になっても、同期に「もっと肩の力抜いて生きたら?」と言われるほどの堅物でした。

世間的に糾弾されるようなことをしてはいけない、と、不確かで「いろいろ」な世間体を気にしながら窮屈に生きていました。


ある時、ちょっとした出来事が私を変えた


社会人になって10年位経った頃、あることがきっかけで、完璧主義でいられなくなりました。

自分の完璧主義が崩れると、他人にも「~~~であるべき!!!」を押し付けることが少なくなっていきました。

その時、他人に「~あるべき!」を多く言う人は、自分自身もがんじがらめで生きているんだろうなぁということがわかりました。


お師匠ジプシーは続いていた


精神世界の探求は中高校生の頃から始まっていて、どこかに全ての真理が隠されて(=というか、自分がまだ見つけられないで)いる、と信じていました。

そして、それを伝えてくれる、「完璧なお師匠さん」を探していました。


何人かの師匠についてみては、ちょっと疑問符が付くと、

「あぁ、この人も ホンモノではなかった・・・。」 

などと勝手に失望して、そっと距離を置いてきました。


私に語る資格など・・・え?もしかしてあるの?


今もまだ学び続けている自分が、何かを語る資格などないとずっと思ってきたけれども

ビジネスを学ぶ中で、

自分が経験して得てきた知識は、語る資格のあるものだし

それを求めている、少し後を歩いている人にとっては聞く価値のある話だ

と聞くにつれ、、、

あぁ、そうか。別に師匠が進化し続けてもいいのだから、

「途上」の自分も語ってもいいのだ。

自分の経験から得た知見は、私にとってはまごうことなき真実だから、

それを語って、それに納得できない人は聞かなければ良くて、

それに「救われる人」「勇気を得られる人」「背中を押される人」に届けばいいんだ、と。

師匠だって完璧じゃない。それでも尊敬するし、追いかけたいと思っている自分がいる。

ならば、自分がそう思ってもらえたっていいじゃないか。


師匠ジプシーをやめたと同時に得たもの


得たもの。それは、私も語っていい、という気持ち。

これまで、自信がなくて、自分から何かを生み出したり、コンサルタントをすることにしり込みしていた。

今日、初めて、自分がコンサルタントをして複数の先生方を指導する機会があり、

私は私のこれまでの経験から、今この話を自信をもって話しているんだ

と実感出来たら、初めて「私も語っていい。(完璧じゃなくていい)」が腹落ちしました。


お茶会をやっています。


10月のお知らせは少しお待ちくださいませ。ご参考までに、9月のお知らせです。


私自身が、40代半ばから「人生このまま終わりたくない」「でも何をどうしたらいいのかわからない」状態から

手探りでいろいろやってみて今の生活になりました。

その間、悩んできたこと、学んできたことが沢山あります。


もし今、「なんだかわからないけれど、このままではいやだ」という気持ちが少しでもおありならば、そんな方に何かヒントになるものを持ち帰っていただけたらと思い、お茶会をしています。

参加してくださった方からは、「元気が出た」「ヒントを得られた」とご好評いただいております。
インスタライブでは常連の皆様からも、「ここへ来るとホッとする」「話しの引き出しが多くて面白い」と言っていただけます。
そんな「ホッとする空間」で、「今あなたに必要な何かのヒント」を拾ってみませんか?


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ちかコー!チ をよろしくお願いいたします。


私に関わる全ての人に元気と勇気を!
そしてその人の変化を有形無形で応援していきます!!!

それぞれの人の経験は、その人にとって、まごうことなき真実。
正解も不正解もない。
ちか (2024.10.3)

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