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【節約生活#271】自分にとって節約とは

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

はじめたとき

 ふと節約をしようと思ってから、まるまる9か月たった。自分でもよく続いていると思う。タイミング的に一度この時点で、自分にとっての節約とは何かをまとめておく。

 もともと開始をしたころは、趣味的にはじめてみた。どちらかというと、節約そのものが目的に近い。節約技術を身につけるにはどれくらいかかるかとか、どんな能力を得られるようになるのかとかを知りたかった。お金というよりは技術よりの好奇心である。ときどき書いているが、お金は失いやすいけれども、技術は失われにくい。
 この開始時での節約は、自分にとってはシリアスレジャーに近い感覚であったと思う。ときどき見かける、趣味に人生を費やす生き方である。

節約の定義が変わる

 この生活をはじめてから節約が何かを考えるようになった。何事もやってみなくてはわからない。
 現在の定義は、「選択と集中」の選択が節約である。自分の価値観にそってお金を使いたいところを選択する。選択したものにお金を集中的に使うために、自分の価値観にあわない支出を極力減らしていく。減らしていく部分が節約のプロセスになる。
 つまり、無駄な支出(価値観にあわない支出)を極力減らしていくことが、節約になる。

 この定義になると、自分が何を大事にしているかを明確にする必要性が出てくる。この時点で、自分が何を大事にしているかもあまり考えてこなかったことに気づく。
 今でも、何を大事にしているのかを自分に問いかけるようなことをときどきしている。

節約スキルは必須

 価値観で考えていくと、節約スキルはよい生き方をするには必須のスキルではないのかと考えるようになった。
 この考え方でいけば、節約をすればするほど、自分の好きな生き方ができるようになる。

 そのように考えていったけれども、自分の価値観を考えていくうちに、これもグラデーションのような気がしてきた。つまり、価値観が完全に明確で言語化されている人もいれば、抽象的な人もいる。もっとあやふやな人もいれば、なんにも考えずにその場その場で判断している人もいる。価値観は明確であればよいけれども、どこまで明確であればよいかは決まっていない。

 そう考えていくと節約技術は特別なものではないように思えてきた。
 どんな人でも、買い物をするときに「高いな」とか「安いな」とかいうように判断することがある。これだって、節約技術である。もちろんこの感覚がくずれると生活が継続できなくなる。ということは、多くの人は節約技術を身につけているのかもしれない。
 また、このお金の使い方の感覚は平時と非常時で異なるだろう。非常時にも備えておくなら生活が破綻しにくくなる。

 こう考えておくと、節約技術は自助という視点でみることもできる。
 生活全体で考えるなら、自助だけでは難しい。だから公的なものとかコミュニティ的なものも用意しておく必要がある。

自分にとって節約とは

 現在、節約を自助としてのスキルのひとつとしてとらえている。技術としてはいろいろあるけれども、ひとによって技術力の高いひともいれば、低いひともいるという感覚である。
 必須かどうかという意味では、必須である。最近はVUCA時代みたいなことばも出てくるくらい、安定はしていない。

 昔とは違って安定とはほど遠い世界で生きていくなら、節約は必須のスキルになる。そして、節約をするには自分の価値観を明確にすればするほど技術は高くなる。もしもこの安定しない状況において、自分の価値観を明確にして行動ができるなら、きっと心身ともに楽に生きていけるような気がしている。

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