【節約生活#311】生活の規模を見直す
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
不相応とはなにか?
節約をすすめる情報を見ていくこと、「不相応なくらしをやめよう」というようなものをたまに見かける。ちなみに「節約 不相応」でgoogle検索をすると約 1,670,000 件もひっかかる。
たいていの主張は、不相応なくらしを見直そう、というものである。不相応なくらしをダウンサイジングすれば、節約になる、という論理である。
では、不相応とはなにかということに注意してみていくと、どうやらふたつある。
ひとつは「見栄」であり、もうひとつは「生活費の◯%以上の出費」である。
見栄はよくわかるし、納得できる。
見栄で生きていくと、自分の価値観ではなく、他人の価値観、それも値段にあわせて生きていく。「映え」ということば一般化してしまったけれども、自分の生活をいくらお金で飾り立てたとしても自分自身は変わらない、成長もしない。
見栄で生きていくのは虚しさしか残らない気がする。
かつて散財をしていた時期に、お酒を奢りまくっていたことがある。何年か続けて残ったものは腹回りの脂肪くらいのものであった。その場だけのありがとうは虚しさを促すことを身を持って知った。
もうひとつの生活費の◯%以上の出費、というのはわかりやすいけれども、誤りだと考えている。◯にはいろいろな数字が入る。たとえば家賃は給料の30%以上は不相応だ、というような使い方をする。
わかりやすいけれども、これは誤りでもある。年収が上下するたびに引っ越しをし、身の回りのものの買い替えないといけなくなる。これも価値観をお金に換算して、自分の価値観よりも優先することになる。
生活の規模
個人的には自分にとっての「生活の規模」を定めることがよいように考える。
まずは自分の大事にするものにどれだけ沿っているかを見つける必要がある。
たとえば自宅なら心地よさはあるのか。その心地よさは何に由来するものなのか。
好きなものはなにか。頻度はどれくらいが最適なのか……。
そうやって、ひとつひとつ眺めていくと、生活の規模がいつの間にか大きくすぎていることに気づく。 これは使うかな、あると便利だよね、と思っておいておくと、自分の生活規模が知らない間に大きくなってしまう。
ずっと古いアパートに暮らしているけれども、以前は2部屋であった。2部屋はないとね、と思って選んだものであるけれども、自分の生活規模よりも大きかった。
物は自分の心地よいものに限って残す。
ミニマリストだとかシンプルライフだとか、断捨離だとかをするひとたちは、生活規模を大きくさせないことのプロなのだとは思っている。
生活規模が一定なら
生活規模が小さいままでいられるなら、収入が増減したとしても生活が変わらない。
生活が変わらず安定していられるなら、自分の価値観に沿って生きられる。
生活の規模はいつの間にか大きくなりがちなので、定期的に生活の規模を見直す必要がある。
ということで、週末に向けて「手放すリスト」を作ってみようと考えている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?