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【節約生活#179】食費を制限して過ごすことの精神的負担は有りか無しか?
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。
食費を計画的に減らしてきた
健康と文化というルールのもとで節約をしていると、食事への関心がメインになる。食事以外にも節約をしているかとは思うけれども。昨日、食材を買いに行く日を少しずつずらしてトータルで買い物に行く回数を減らせるのではというアイディアを書いた。このときに、食費の残りを意識して過ごす2、3日が精神的に良いのか悪いのかを考える必要があるのだと気づいた。
そこで、今回は食費を減らして起こる精神的負担について考えをまとめてみる。
精神的負担
節約の選考文献をいろいろ探すと、一般的に節約生活には自炊が有効であるとは書かれているものの、積極的に食費を減らせとは書かれていない。理由としては、負担感が大きいので節約生活を継続することが難しくなるからのようである。
私は単に趣味で挑戦しているので、負担感のある方が良いので敢えて食費を削ろうとしている部分もある。
精神的負担としては、計画していた金額を超えそうになるという時と、次の週まで残り◯日あって、新しいものを買いに行けないと思う時くらいである。他には、料理をするのがめんどくさいなあ、と思うくらいだろうか。
有りか無しか?
これらの精神的負担を有りか無しかで考えてみる。
「お金を使いたいのに使えない」という意味での負担感である場合、無しになる。節約の本質は無駄な贅肉のような出費を削って生活をスリムにすることであるからである。必要なものに出費を集中できるようにしないといけないのに、必要と思うようなものまで、お金を渋るようになると本末転倒になってしまう。ただ苦しいだけで何も得るものがない。
それだけなのか?
ただよくよく考えてみると、贅肉を欲しいとその時だけ思っていることはないだろうか? つまり、自分の価値観にあっているものやこと、暮らしや健康のために必須なものかどうかを判別せずに、反射的に欲しいと思っていることは多いような気がする。
たとえばアルコールである。忙しかったり、疲れていたり、ストレスがたまっていたりする場合、お酒を飲みたくなる。たいてい夜のことだ。しかしながら、それ自体は体にも精神的にも良い影響を与えるわけではない。有名な話であるけれども、アメリカ心理学会でストレスの解消に向いていない行動の中に、飲酒が入っていたりする。
つまりは、本当に欲しいものと、その場限りに欲しいと思ったものは違うということである。
ちなみに、10年以上毎日飲酒をしていたところを、今年からかなり減酒をしている。最近は毎夕飲みたくなってくる。これはストレスもあって飲みたたくなってしまうのかもしれないが、価値観的にも身体的にも飲まない方が良いに決まっている。
対策
精神的負担があることは確かである。これについての対策を3つ考えた。
1 価値観を問い直す
考え方によっては、お金がないけれども欲しいなと意識する機会はチャンスである。お金の残りにフォーカスするのではなく、本当に欲しいのか、必須のものであるのかを問い直すと良い。そうすると、自分の価値観自体を見直していける気がする。
個人的にはメモを残したい。
もしも必要であるのならば、残りのお金のことを考えずに支払えば良い。そこは節約の考え方に反しない。
2 不足感の機会を減らす
食費の残りをいつ気にするかと言えば、やはり食材を買いに行くときである。そう考えると、そもそも買い物に行く日を決めて、それ以外の日は考えないようにすることも方法論としては可能であると考える。ほしいなと思うことはあっても、買い物に行く日に考えよう、と浮かんだ気持ちを先延ばしにしてしまうのである。そういう意味では昨日から買い物に行く日を決めてしまったので試してみることができる。
3 新たな節約術の開発
趣味的に考えるならもう一声ほしいと思って、この項目をあげた。不足しているならどこからか捻出しよう。そのために、新たな節約術を開発するのである。この挑戦をはじめてから生活自体が変わってきた。食費についても、はじめは週に5000円からはじめていたが、今では2500円にまで下がっている。金額的にはこれ以上はさすがに難しくなるとは思ってはいるものの、様々な工夫をしてきた。そういう意味で、新しい節約術を開発して導入できるチャンスとなるかもしれない。