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#コラム
映像の世紀の終わりに何をすべきか。
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20世紀は言われる通り映像の世紀だった。
今ならインスタ映えするものが流行するように、映像でウケるものが話題になり流通した。反対に映像でウケないものはスルーされ縮小していった。問題なのは、星の王子さまじゃないけど、本当に大切なものは映像化が困難なため、映像の世紀は本物が廃れていく時代でもあったことだ。
映像というのは情報量が多いようで実は少ない。完璧なロボッ
ものづくりは体づくり
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なんでも体力は必要だけど、ものづくりをするならざっくりと体力というのではなく、体力という要素を分解して、何が体力なのかを探っていかないといけない。体力というのも物語やゲームで一つの大きな要素だから。
体力の根幹は姿勢で、キャラクターの造形にも深く関係してくる。鬼滅の刃を今になって読んだんだけど、強いキャラクターほど姿勢がいいので説得力がある。姿勢がわるくて俺強い
スゴい人は好きを極めてる。
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できるクリエイターや経営者と話して共通するのは、自分の好きなことについて語る、ということだ。何が自分が好きか、という事に対する解像度が非常に高い。
ある方はイカについて1時間話し続け、またある方はサザエさんについてずっと熱く語る。
好きなことだけすれば生活できないのでは、と思うかもしれないけど、自分が好きなことをすることで、どう人を喜ばせるか、どう社会とつな
アイデアを出すためにしていること。
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アイデアは雨乞いに似ていると思う。降ってくるのを待つしかない。
論理的な考えは建物を組み立てるようにガシガシと組んでいけるかもしれないけど、アイデアとは猫と鳥が仲良くしているような意外な組み合わせなので、ひらめきが必要であり、無理やりだそうとすればかえって出なくなる。
クリエイターと批評家の言動は、似ているところもあるが根本的な違いは、ひらめきがあるかどうか
映画『ジョーカー』と人生の三幕構成。一幕では親に従い、二幕で世間に、三幕で自分に従う。
※ネタバレ含みます
物語の多くは三幕構成で作られており、三幕で作れと習うことは多い。
・一幕は「問題提起」
・二幕は「問題の複雑化」
・三幕は「問題の決着」
と明快に説明している記事がわかりやすいけど、映画・ドラマの脚本術でも三幕についてよく論じられている。例えば映画『ジョーカー』も本人の内面状態で見ると三つに分けられる。
・一幕は「問題提起」主人公は社会に適応できない
・二幕は「問題の複
もし手応えがあるなら、やり方が間違っているということ。
「手応えがある」ということは良いことのように聞こえる。本当にそうだろうか?
たとえば歩いている時に手応えがあったらどうだろう。
「歩いているという手応えを確かに感じた」
リハビリ中ならともかく、こんな風にいちいち手応えがあったら面倒だ。ご飯を食べる時でも手応えはいらない。普段やっていることは上達して自然にできていることなので、手応えがないのが正解だ。
もし手応えがあるなら、やり方が間違って
コンテンツとは「孤独なつながり」に他ならない。
コンテンツとは情報量だと誤解していた。時間あたりの情報量をどう増やしていくかだと今まで思っていたけど、それは技法であり目的ではなかった。コンテンツの目的は孤独によって、つながりを表現することだ。つながりとは何か。
2日前からLINEで配信している復興庁のマンガ「ふくしまを食べよう」は、福島の風評被害を無くそうと頑張っている高校生を取材して作ったマンガで、NHKでも紹介してもらえた。
マンガはス